栗田 亮

2018 11 Feb

ビートルズのマネージャーはどこがすごかったの?

ビートルズを「発掘」し、世に送り出したブライアン・エプスタイン。彼の伝記「ビートルズをつくった男 ブライアン・エプスタイン」を読むと、ビートルズ同様、この人もある種の天才であったようです。


リヴァプールに住む27歳のレコード店店主が、ビートルズと出会い、マネジメント契約を取り付け、レコード会社に売り込みをかけ、わずか2年足らず業界内に急成長する一大帝国を築き上げるというサクセスストーリーは、音楽業界が未成熟だった1960年代前半の話とは言え、夢のような物語です。しかし、その成功ゆえにブライアン・エプスタインは心身に不調を来し、32歳の若さで亡くなってしまいます。薬物の過剰摂取による事故死でした。


ブライアンの伝記は、勝利と悲劇に満ちた人間ドラマであり、またマーケティングの教科書でもあります。


ビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインとはどんな人物だったのでしょうか。

イギリスのリヴァプールで、小売業を営む裕福なユダヤ人家庭に生まれた彼は、芸術家志向で、15歳の頃に「自分は服飾デザイナーになりたい」という手紙を両親に書くような少年でした。

快楽主義者だった彼は、上品さや心地よさを愛した。彼は物事を根気よく学ぶのが苦手だった。ブライアンのっ人生に一貫していたのは、落ち着きの無さでした。


学校には馴染めず9回転校し、陸軍に入隊したもの除隊勧告され、志望だったが演劇では芽が出ず、小売業などという厳しい世界でやってゆくには「上品」すぎると言われながら、父親が経営する家具・家電店の地下レコード売場責任者として仕事を始めるといった、彼の前半生は失敗続き。唯一、誰にも認められていたのが、ファッションセンスでした。


しかし、ブライアンはレコード売り場の責任者として才能を発揮し始めます。新曲がどれくらいヒットするかという勘が抜群に優れていたのです。この天性の才能を活かして、彼は自分のレコード店を繁盛させます。
その商売哲学は、

「迅速にしかも丁寧に客の要求を満たせば、売り手も報われ、評判が広まる」


というものでした。

そんなブライアンが、リヴァプールの酒蔵を改造したクラブで、ひどい格好をした、ボサボサ頭の、粗野な若者、ビートルズの演奏を聴いて衝撃を受けます。「彼らは世界を変えるだろう。そしてエルビス・プレスリーよりも有名になるだろう。」彼は自分の直感に対して忠実でした。そして、すぐさま自らビートルズのマネージャーになるという交渉を始めるのです。

「ブライアン・エプスタインが一体何をやろうとしているのかわからないね。最近じゃ、彼とまともに仕事の話ができないんだ。あのばかどもとうろついてばかりでさ。」彼の家族や同業者は、彼は頭がおかしくなったのだと考えていました。「商売を棒に振って、自分自身まで駄目にしようとしているってね。」


彼が何もないところから素晴らしいものを作り出したということを、みんなが誇らしく思うようになったのは、ずっとあとのことでした。

その頃のビートルズは地方都市リヴァプールの人気バンドのひとつにすぎませんでした。当時、リヴァプールには同じように革ジャンを着た300組のロックグループがひしめいていて、同じような成功を夢見ていたのです。
ブライアンにとってのビートルズは、彼の名誉欲を満たしてくれるために現れた、天からの使者でした。ビートルズは絶対に売れるという確信から、断固とした一連の行動へ駆り立てられたのです。

一方、ビートルズにとってのブライアンは、おそらく、リヴァプールから飛び出すための格好の道具でしかありませんでした。ユダヤ人の中産階級出身の彼は、ビートルズから見れば大富豪も同然だったからです。


ビートルズのマネージャーに就任した後のブライアンのマーケティング戦略はシンプルでした。


ビートルズの音楽には一切口を挟まない代わりに、もっと幅広い層の人々が親しめるバンドに変身させること。


ブライアンは、ファン層を広げるためにイメージアップ作戦を開始し、自腹を切ってテーラードスーツを買い与え、ステージマナーを直させるなど、ビートルズを粘り強く変えていきます。


また、ドラマーをピート・ベストからリンゴ・スターに交代させます。ピートはジェームズ・ディーン風の優男で一部に熱狂的なファンがついていたのですが、肝心のドラマーとしての腕前がもうひとつでした。リンゴはドラマーとして優秀なだけでなく、おどけたユーモアセンスがありながらも控えめで、ジョンとポールの邪魔にならないという得難い人材でした。こうした仕事もブライアンはこなしました。


そして熱意と勢いを持ってレコード会社に売り込みにいきます。
珍しいきちんとした服装をしていて、デモ用レコードを持ち込んでくるたいていの人間とは全然様子がちがっていた。


ビートルズがEMIという大手レコード会社と契約できたのは、ブライアンが経営するレコード店での大量買い取りという条件付きでした。
EMIはお情けでビートルズと契約したんです。ブライアンは彼らにとって一番のお得意さんでしたからね。


将来「史上最も偉大なアーティスト」(ローリングストーン誌)、「最も成功したグループアーティスト」(ギネスブック)と言われることになるビートルズも、その頃は、音楽業界のプロたち高い評価を得ていたわけではないのです。

後年、ビートルズはブライアンがいなくても、今日のような存在になれただろうか、という質問に対してジョン・レノンはこう答えています。

「僕たちが知っているような形じゃなかっただろうけどね。でもその質問は無意味だね。僕たちは彼と出会って、こうなったんだから。」


ビートルズとブライアン・エプスタインの関係は、常に微妙でした。
本書は、ブライアンの「ユダヤ人」と「同性愛者」という属性に過剰に焦点を当ててすぎているきらいがあり、そのことで、ビートルズがブライアンをからかったり、いじめたりするエピソードもたくさん出てきます。ビートルズは、嫌がらせや皮肉を言う子供っぽいイヤな連中として描かれているのです。
ブライアンの考えは、「天才と付き合うにはそれくらいは我慢しないとしょうがない」というものでした。


「成功を手にしてからの彼らは、なにかあるとすぐブライアンを責めるようになったんだ。成功をもたらしてくれた彼に感謝する代わりに、当然自分たちに権利があるものを与えてくれないと言って非難した。彼らはとても否定的な考え方をするようになっていった。ブライアンが何事かの処理で過ちを犯すと、彼らは大声で批判して、どうしょうもないマネージャーだと彼をなじった。彼がいなければ、一流になれなかっただろうこともわすれてね。」


ブライアン自身も仕事の手を広げすぎ、すっかりわがままになってきたビートルズとどんどん意見が合わなくなります。


ジョン・レノンは、成功のために打算的になれる男だった。彼は、ブライアンが自分たちにスーツを着せたり、ステージで汚い言葉を使ったり酒を飲んだりするのを止めさせ、ビートルズのイメージ・アップを画策したことを快く思っていなかったが、彼が遠大な計画を練っているという事実は認めた。
ビートルズが確固たる地位を築くまでは、彼は口をつぐんでいた。エプスタインがパケージ商品としてビートルズを売り出すことに成功してからも、ジョン・レノンは彼の指示のほとんどすべてに従ったが、その忍耐もほんの数年続いただけだった。


そして、1967年、ブライアンはビートルズに対する支配力をうしないつつあるという噂の中、常用していた薬物の過剰摂取で突然この世を去ってしまいます。(検視では事故死と判定。)ビートルズをこよなく愛し、世界に送り出した男のあっけない最期でした。


このブライアン・エプスタインの伝記から読み取れる、彼の偉大な点と駄目だった点をまとめてみます。


まとめ:ビートルズのマネージャーはどこがすごかったの?


ブライアン・エプスタインが偉大だった点
・垢抜けないビートルズの才能を見抜いた洞察力
・すぐさまマネジメント契約を結んだ行動力
・ファン層拡大のため衣裳などイメージアップさせたファッションセンス
・ステージマナーを変えさせた粘り強さ
・デビュー前にメンバーチェンジを行った戦略性
・音楽には口出ししなかった自制力
・レコード会社やテレビ局への売り込みの熱意、勢い、エネルギー
・ビートルズからの皮肉やからかいに動じない育ちの良さ


なによりもブライアン自身が最大のビートルズファンでした。ブライアンにとっては、自分の果たせなかった夢を投影できる、人生の目標がビートルズだったのです。

ブライアン・エプスタインの駄目だった点
・音楽業界に不案内 (契約に疎く損が多発)
・金遣いが荒い(美食、旅行好き)
・部下に対して怒りっぽい(突然残忍・横柄・傲慢になる)
・車の運転が下手 (事故寸前が数度)
・情緒不安定
・約束をすっぽかし行方不明になる
・ギャンブル中毒
・薬物中毒


プロのマネージャーとして不適格なことが多く、ビートルズの不満が山積みになったことも理解できます。ポール・マッカトニーが言うように、彼は「青二才」でした。

結局、ブライアンは、自分が考え強行した戦略が大成功し、愛するビートルズが世界に認められた結果、自分の居場所を失ってしまったことになります。


ブライアンとビートルズの物語はおとぎ話のようです。


1962年にレコードデビューを果たしたビートルズは、ブライアン亡き後、仲間割れに陥り、1970年に解散します。訴訟という形でもたらされたビートルズの最期は、彼らが作りあげた美しい音楽と比べて、なんとも醜いものでした。ブライアンの幸福は、これを見ずにすんだことかもしれません。


「ブライアンは有能なビジネスマンとはいえなかったが、有能なビジネスマンには、彼のような偉業を達成することは出来なかった。ブライアンは、商売のために上辺を飾ろうとしなかった。彼は、偉大さを基本にものを考える人間だった。ヴェルサイユだって、完成時は賢い投資だとは言われなかったはずだよ。でも、長い時間が経つうちに、結局フランスが何百年にもわたって誇れるものになったじゃないか!一番有能なビジネスマンが、歴史に残るビジネスマンだとは限らないということさ」(ビートルスを作った男 ブライアン・エプスタインより)