上野 君子
生まれ故郷で花見
ちょうど花見をひっかけて、久しぶりに生まれ故郷に足をのばしてみた。生まれ故郷といっても東京と横浜を結ぶ東横線沿線にあり、最近は鉄道が四方八方つながっているので、どこに行くにも便利になった場所だ。
前回行ったのは、4、5年前。遠出ができなくなった両親(まだ存命中)に、せめて写真を見せてあげようと思ったのだった。その時に、町の変化は確認していたから、今回はそれほど驚くこともなかった。
両親は定年退職をきっかけにその場所を離れ、海と山のある新天地に移住したのだった。私自身は24歳で一人暮らしを始めるために、それより前にそこを離れた。
駅から徒歩10分圏内にあるそのエリアは、近年大開発された駅周辺の喧騒とは異なり、高層の集合住宅もなくのどかな住宅地を保っている。昔から私学一貫校の学校があることも町の雰囲気を作っていると思う。
特に、きれいに整備された川沿いは、予想通り、桜が満開だった。ここは子供のころから祖母や母とよく歩いた。
以前住んでいた我が家の跡をはじめ、広い庭のカトリック教会、通っていた幼稚園や(前回は行かなかった)小学校などを歩き回って、駅にもどった。
その途中で、知り合いの家や商店の前を通ったのだが、不思議なのはもう半世紀以上の時間が経過しているのに、それほど親しいというわけでもなかったのに、そこにいた人々の顔が思い出されるのであった。
川沿いの角にあったパンや菓子を売る小さな店のおばあさん。
その数軒先には、幼稚園の時に一緒にヴァイオリンを習っていた男の子の家のお豆腐屋さん。快活なお母さんだった。
シャッターに「貸店舗」の貼り紙があった酒屋さん(4,5年前は営業していた)は、小学校同級生の家(代替わりで継ぐ人がいなかったのだなあ)。
子供時代に通っていた眼科の女医さん(眼科はなく、通常の住宅に)。
表札に母のママ友(妹の同級生のお母さん)の名前を発見したが、ひと気がない様子(母の死亡通知まではやりとりしていたが、その後、亡くなったのか、施設に入られたのか)。
ほんの数十メートル、数百メートル歩くだけで、いろいろな記憶がよみがえり、そこの人の顔が思い出される。
顔というより、その人の雰囲気や気配といった方がいいか(身に着けているものはぼんやりしている)。
あの世でも、そういう思い出の残像のように、いろいろな人と再会するのであろうか。
桜の季節にふさわしい小旅行であった。