上野 君子

2018 12 Mar

若い人の優秀さにタジタジ

藤井棋士然り、羽生結弦選手然り、若い人の優秀さに驚くばかり。

一般的にいっても若い世代が本当に優秀だと実感している。

 

先日、書籍編集者の友人に誘われて、ある飲み屋に行った。

隠れ家的なシックな佇まいと、燗酒をメインにしたいかにも趣味人好みのメニュー。

一人で切り盛りしているその主人といろいろ話していると、何と一昨年までは大学生だったとのことで、方々修業した後、自分の店を出したばかりだという。

だたただびっくり。

そういえば、イタリアンもフレンチも、自分の店を出す若い料理人が増えた。かなりレベルが高い店が少なくないのだ。

 

図書館、書店、美術館と、私は50代からいわゆる本業以外の仕事にもいろいろ関わってきたが、それらの職場でも若い人たちが優秀なのである。

低時給の非正規雇用なのに、皆よく働く。

コンビニでバイトをしたこともなかった私にとっては、システムやシフトの中で働く労働というものに慣れていないだけではなく、長い間、自分のペースで働くことを中心としてきたから、日本の社会特有のチームワークといった感覚も欠如しているから、その違和感はなおさらだ。

さらに、インターネットによって昔のような年功序列の社会は破壊されているから、50代以上、特に60歳を超す世代の存在意義とは何かと考える。

 

「人生100年時代」と称し、政府も盛んに働き方改革を呼び掛けているが、そういうマクロの指針と現実には大きなギャップがある。

自由業の国民年金中心の人間は、定年もないが、生計を立てるためにはとにかく死ぬまで働き続けることが不可欠。

確かに、接客サービスや小売業、介護サービスの現場などでは、人手不足かもしれないが、そういうところにすべての人がマッチするわけではない。

近隣地区の求人を見ていても、60歳以上の雇用となると(たいていのアルバイトは60歳定年)、清掃、介護サービスしかないといっても過言でない。運転免許をはじめ、役に立つ資格というものを一切持っていない私のような存在はどうすればいいのだろうか。

 

経験の長いライターの仕事があるではないかと人は言う。

メディアはデジタル化によってさらに世代交代が進み、対価(もともと原稿料は安いのに、さらに)は値崩れしている。

最近、真剣に悩んでいる。