上野 君子
神経過敏な早春の日々
体はいうことをきかなくなったが、感覚や感情は年と共に研ぎ澄まされる――。というようなことを母が晩年話していたのを思い出す。
まだまだ体は動くし、きついヨガのレッスンにも何とかついていけるが、疲れやすくなっていることは確か。とにかくストレスフリーで生きたいと思っているのに、あっちからもこっちからもストレスの矢が飛んでくる。
まあ、多少のストレスはボケ防止に必要だろうが、ストレス過多で病気になるのはイヤだ。
先日は、普段かかわっている接客サービス業の中で、スーパーモンスタークレイマーに個人攻撃を受け、表面は冷静さを装っていたが、今までに感じたことのないような恐怖さえ味わった。
そんなこんなで、最近、神経が疲れている。
もとより体の中の声を聞こう、五感に敏感になりたいという思いが強いせいもあって、必要以上に神経過敏になっている。
2月最終週から3月にかけて、セミナー講師の仕事が立て続けにあるので、今、倒れたくない、倒れは困るという強迫観念が自分の中に充満していた。
この時季にこわいのはインフルエンザ。そして常日頃から、帯状疱疹になったらどうしようといつもおびえている(帯状疱疹の予防薬ができたという新聞記事を先日読んだ)。
あの過酷な海外取材も何とか乗り越えてここまできたのだから、ここで倒れてはいられないと歯をくいしばっている。
プレッシャーに弱いそんな私に、昨日、へんなことが起こった。
仕事関係者との夕食の約束を前に、早めに東京に出て映画を観ていたら(交通費をかけて都心に出るのだから他にも何かというの私の貧乏根性)、途中から変な寒気がしてきて(空調の風が当たる場所であったことも原因)、だんだん体内が熱っぽくなってきたのだ。
その映画が、ストイックで完璧主義者のデザイナーを主人公にしていたドキュメンタリーだったこともあるが、それ以上に後ろの座席から異臭がしていたのが気になっていた。その異臭とは、私も昨年に急性胃腸炎で経験したのだが、おそらくウイルス性でお腹をやられている人から発する臭い。
座席を移動しにくい場所だったので、最後までずっと我慢し、ハンカチを口に当て、そのウイルスが私に影響を与えませんようにと念じた。自分の体の中の細胞が闘っているのが分かるような気がした。その闘いのために発熱が守ってくれたのではないか(かなりの妄想癖)。
映画が終わったら、用事を済ませた後、皮膚科でお世話になっているクリニック(内科も併設)が近くにあったので、そこに直行。受付で熱を測ると、37.1度(私にとっては確かに微熱)。20代の若い医師に、まだインフルの判定はできないといわれながら、来週は関西で大事な講演があるからと、タミフルを処方してもらった。まだ1週間あるので、今ならインフルになってもまだ回復する時間があるという計算だ。
ところが約2時間かかる帰宅途中も、帰宅後も熱が上がる様子はなく(というより平熱にもどっていた)、ぐっすり眠った翌朝はすっかり平常に。
完全に「知恵熱」であったのだ。
普段、約束をやぶることのない私が、特に食事の約束をキャンセルすることは皆無な私が、忙しい方をドタキャンしてしまった申し訳なさ。本当に失礼をしてしまった。
あれはいったい何だったんだろうと思うが、無理して食事に行っていたら本当に体調をこわしていたかもしれないと、何か意味があったに違いないと思うようにしている。
ついに服用せずに済んだタミフルはお守りにしておこう。
これ以上、春の攪乱がおこりませんように。
最近読んだこの本にもかなり影響されている。