上野 君子
2019
12
Oct
人間の持つバイタリティ
我が家は、比較的大規模の集合住宅なのだが、先日から時々、上の方から女性の叫び声が聞こえる。力を振り絞るような大声で、怒っているというか、何かを訴えているようだ。
あれはどこから聞こえてくるのだろうかと、バスで乗り合わせた近隣の人に聞いてみたら、「あれはYさんよ」ということだった。
ああ、Yさん! Yさんといえば、母も近所づきあいのあった80代後半の方。
母の話には何度か出てきたので、私もその名は聞きなれている。
ご主人が亡くなって独り暮らしをしていたが、ご主人の友人だった男性と親しくなって一緒に暮らしているとか、喧嘩別れしたとか。とにかく話題のつきない人だった。
とてもおしゃれな人で、私もYさんと思しき方に何度かバスで乗り合わせたことがあるが、80代でも黒のロングブーツを颯爽とはくような女性だった(とても80代には見えなかった)。
母が亡くなってだいぶ経った頃、夜中に我が家の玄関の呼び鈴を押す人がいて、モニターで見るとおばあさんが立って、「私の家のある棟はどちらでしょうか」と。
明らかに、認知症の徘徊老人であった。
あの時のあの人がやはりYさんだったのだなと確信した。
今も独り暮らしをしているようだが、あの叫びは、時々やってくるヘルパーさんに向けられたものなのだろうか。
宇野千代や瀬戸内寂聴のように、いくつになってもバイタリティ(生命力、活力)にあふれた人とはいるものだ。それはその人の生まれ持つ資質、体質であって、まるで真逆の私などは、60代にしてもう疲れている。
それにしても、バイタリティがポジティブな時はいいが、ネガティブに振れる時はこわい。
こんな台風の日、Yさんはどう過ごしているのだろうか。