上野 君子

2019 25 Apr

「茶を点てる」を日常に

祖母が茶道の家に生まれたこともあって、いつからか機会があれば「お茶」をやりたいと思っていた。

一昨年だったか、上野の国立博物館で開催されていた展覧会で完全にマイブームとなり、お寺で行っている1日体験教室に参加したりもしたのだが、結局は家元制度特有のエンドレスにお金がかかることが見えてしまって、身分不相応と断念していた。

 

最近、完全に自己流だが、友人が遊びに来てくれた時などに、お茶を点てるようになった。

抹茶につきものの和菓子は、そういつもあるものではない。

今日も和菓子はなかったが、日持ちのする和三盆の落雁を以前いただいたのを思い出して、お茶に添えてみた。

 

日常に取り入れたいというきっかけになったのは、以前、親戚宅で普通のお茶と同様の感覚で、さりげなくお抹茶を点てて出してくれるのを見てすてきだなと思ったこと。

それが頭にあったから、京都出張の際に一保堂の小さな抹茶缶を購入(抹茶は消費期限が短いのに、東京では意外にも小さな缶があまり売られてない)。

茶筅、茶杓、茶碗は家にあるもの(母が大事に保管してくれたものが少し)を使っている。

茶筅だけは代用品がないが、それ以外のものは家にあるものでも十分。茶道用の袱紗や棗などは、道具としては魅力あるが、なくても大丈夫なのはもちろんのこと、茶杓はスプーンでも立派に代わりを果たせるし、茶碗もカフェオレ茶碗でいい。

 

もちろん、お点前は自己流。子供の時に家で祖母が時々、お茶を点てていたのを思い出しながら、真似事をしている。

ルールをきちんと身に着けるのも意味はあるが、今はルール無視で、とにかく日常に取り入れることを重視。

コーヒーや紅茶や煎茶でもいいが、それらにはない雰囲気が楽しめるのがいい。

 

 

床の間には、モッコウバラの枝。私が大好きなのを知り、友人が持ってきてくれた。

床の間にかかった掛け軸は、茶道の家元だった曽祖父(祖母の父)が晩年に書いた書。

 

窯の代わりに、南部鉄瓶が大活躍。少なくとも電気で沸かしたお湯は避けたい。