栗田 亮
クラウゼヴィッツって誰ですか?
クラウゼヴィッツ(1770~1831)は、プロイセン(今のドイツ)の将軍で、ナポレオン戦争にも従軍した人物です。
彼の書いた「戦争論」は、戦争を「他の手段による政治の延長」としたことで有名で、「戦略」論の古典とされています。
クラウゼヴィッツによれば、戦争はすべては政策の延長ですから、「戦略」よりも「政策」が上位に立たなければなりません。
彼は、「政策」は王様や大臣が行うもの、「戦略」は将軍、そして「戦術」は現場の指揮官が担当すべきものとして、3つの階層に分けました。
つまり、
1.政策=英語のドクトリン(doctrine)→王様や大臣が行うもの
2.戦略=英語のストラテジー(strategy)→将軍が行うもの
3.戦術=英語のタクティクス(tactics)→現場の指揮官が担当するもの
政策>戦略>戦術
という関係です。
クラウゼヴィッツの考える「戦略」は、「政策」と「戦術」をつなぐ架け橋であると言えます。
このように見ると、広辞苑が定義する「戦略」は、クラウゼヴィッツの理論がベースになっていることがわかります。また、大前研一氏の言う「戦略」も同様です。
このように、彼の「戦略」論は、現代でも大きな影響力を持っているのです。
クラウゼヴィッツは、
戦略における重大な決意には、戦術におけるよりも遥かに強固な意思を必要とする
と述べています。
「戦術」とは(広辞苑によれば)一個の戦闘における戦闘力の使用法ですから、これを実行するのは、
事態は刻々に変化するから、将師はあたかも渦巻のなかに引き込まれているかのように感じるわけである、もし彼がこの渦巻を乗り切ろうとすれば、極めて危険な結果を招くことは明らかである、それにも拘わらず彼は、さまざまな危惧の念の募るのを努めて抑制し、勇を鼓して闘争を遂行すればよいのである。
としています。
ただし、一旦戦闘状態に突入してしまえば、もう迷っている余裕などなく、とにかく勇気を振り絞って作戦を遂行するしか道は無い状況に追い込まれます。そういう意味で、「戦術」を実行するのには、強固な意思は必要ないと述べているわけです。
一方、「戦略」を実行する場合はどうでしょうか。
一切が緩慢に経過するから、その間に将師ならびにその部下の心に生じる危惧の念、外部からの意義や批難、更にまた詮無い後悔の念等が、戦術におけるよりも遥かに甚だしく心を煩わすのである。
つまり、「戦略」の実行は「戦術」の実行と異なって「迷いが生じる」のです。
その上、
自分の目で直接に見ることの出来るものはせいぜい事態の半ばにすぎない、それだから将師は、自余いっさいのものを推測し推定するより他に途がなく、従ってまた確信も揺るがざるを得ないのである。
このような理由から、大部分の将軍たちは、まさに行動すべき時に、理由のない危惧や不安の念に悩んで、結局好機を逸してしまうものだ、と述べています。
「戦術」は個別具体的で判断しやすいのに対して、「戦略」は抽象的で目に見えないもの。それ故、雑音が耳に入りやすく迷いが生じやすいというのは、納得できる指摘だと思います。
クラウゼヴィッツの生きた時代は、フランス革命で近代市民社会が登場した時代です。徴兵制がひかれ、戦争は、それまでの王様同士による限定戦争から、国力を無制限に投入する絶対戦争へと変化しました。
「戦争論」で言う「敵」とはナポレオンのことです。徴兵制と武器の近代化を背景に、ほとんど全ヨーロッパを占領してしまった天才をどう倒すか。この大問題を考え抜いたことから、クラウゼヴィッツの「戦略」論が生まれました。
この点が、クラウゼヴィッツの「戦略」論が、現代でも通用している大きな理由だと思います。
しかし、現代の「戦略」の定義は、クラウゼヴィッツとは違う考え方もあり、そちらの方が主流になっています。
次に、新しい「戦略」の考え方を見ていきましょう。