栗田 亮
では、「ストラテジー」って何ですか?
「戦略」の定義には、クラウゼヴィッツや広辞苑とは違うものあります。
たとえば、「戦略論の名著―孫子、マキアヴェリから現代まで」(野中郁次郎編著)では、第一線の研究者たちが、戦略論の名著を取り上げて解説をしていますが、その冒頭で「戦略」の定義を、
本質を洞察してそれを実践すること、認識と実践を組織的に統合することである
としています。
ここでは「戦略」の大前提であるはずの「敵」の存在がすっぽりと抜け落ちているのです。
同書が取り上げているのは、次の12の著作です。
1、孫武「孫子」(紀元前5世紀〜4世紀)
2、マキアヴェッリ「君主論」(1513年)
3、クラウゼヴィッツ「戦争論」(1832年)
4、マハン「海上権力史論」(1890年)
5、毛沢東「遊撃戦論」(1938年)
6、石原莞爾「戦争史大観」(1941年)
7、リデルハート「戦略論」(1954年)
8、ルトワック「戦略」(1987年)
9、クレフェルト「戦争の変遷」(1991年)
10、グレイ「現代の戦略」(1999年)
11、ノックス&マーレー「軍事革命とRMAの戦略史」(2001年)
12、ドールマン「アストロポリティーク」(2001年)
見て分かる通り、日本人によるものは石原莞爾の「戦争史大観」だけで、他は現在の国名で中国、イタリア、ドイツ、アメリカ、イギリス、フランスなどの著者によるものです。
また、「孫子」「マキアヴェッリ」「クラウゼヴィツ」の古典から、第二次世界大戦後に書かれたものまで幅広く採用されています。
つまり定義としてはこちらの方が国際性があり、時代も過去から最新までを網羅したものであると考えられます。
特に最後の4つ、「クレフェルト」「グレイ」「ノックス&マーレー」「ドールマン」の著作は英語で書かれた「最新理論」です。
広辞苑は、「戦略」を英語の「ストラテジー」(strategy)と同じものであるとしていますが、本当にここまでの情報を織り込んでいるでしょうか。
試しに、オックスフォード辞典(Oxford Dictionary)で「ストラテジー」を調べてみましょう。
「ストラテジー」の第一義は
1、長期的あるいは全体的目標を達成するために設計された行動計画
1.A plan of action designed to achieve a long-term or overall aim.
となっています。
つまり、前提条件は「敵」(enemy)ではなく、「目的」(aim)なのです。
第二義に
2、戦争や戦闘における全体的軍事作戦および軍事行動の計画・指揮の技術
2.The art of planning and directing overall military operations and movements in a war or battle.
があり、これが広辞苑の「戦略」に近いですが、ここにも「敵」はでてきません。
また、この内容を厳密に言う場合に「ミリタリーストラテジー」(military strategy)「軍事戦略」という言葉を使うようですが、その定義は、
軍事戦略は、求められる戦略目標を達成するために軍事組織によって実行される一連の思想
Military strategy is a set of ideas implemented by military organizations to pursue desired strategic goals(wikipedia)
となっています。
ここにも「敵」は出てこず、「戦略目標」が前提になっています。
つまり、広辞苑の「戦略」と英語の「ストラテジー」は、厳密には、同じものではないのです。
戦略≠英語のストラテジー(strategy)
英語の「ストラテジー」は、特定の「目的」に対する方向性や取り組み方を指していて、「敵」の存在を前提とはしていません。
ですから日本語に訳す場合には「戦略」よりも「方策」の方がよいという意見もあります。(wikipedia)。
英語の「ストラテジー」は時代とともに定義がアップデートされているのに対し、「戦略」の方は19世紀の定義にとどまっているようにも見えます。
どうしてこのようなことが起こったのでしょうか。
その理由として、「戦略論の名著」が指摘するように、現代では戦争が意味する範囲が広がっている、ということが挙げられると思います。
「テロとの戦争」(War on Terrorism)という言葉が象徴するように、現代の戦争はクラウゼヴィッツが前提とした国家間の戦争に限るわけではありません。非国家組織によるテロのように、正体がわからない「敵」との戦争が現実になっています。
また、戦争は必ずしも合理的な政治の延長ではなく、宗教やイデオロギーなどの価値観を実現するための手段としても行われています。
さらに、戦場の想定範囲も、従来の陸・海・空だけでなく、サイバー空間や宇宙空間までに広がっています。
現代では、敵が特定できない戦争が起こり得るのです。
こうなると、「戦略」の前提に「敵」を設定することは合理的ではありません。
そこで、英語の「ストラテジー 」では「敵」に代わって「目的」(戦略目標)を掲げるようになったのだと思います。これに対して、日本語の「戦略」のほうは、クラウゼヴィッツの古典的な定義を前提としている。
そのような中に英語の「ストラテジー」の意味も混在してくるので、「戦略」ということばは、使う人や場面ごとに、ぼんやりとした都合の良いことばになっているのだと思います。
この事情は、企業間の競争においても同じです。
大前研一氏の「企業参謀」が言うような、業界ごとの「事業を成功させる主要因」(Key Factor for Success)を把握し、ライバル企業を徹底的に意識して、紙一重の差で勝つという手法が「企業戦略」として通用したのは、古き良き時代としか言いようがありません。
現代の経営では「敵」は見えるところから現れるとは限りません。
たとえばアパレル企業の本当の「敵」は誰でしょうか。
それは業界内のライバル企業ではなく、たとえばメルカリのようなフリマアプリかもしれません。
同業界のライバル企業のことばかりを徹底的に意識して経営をしていたら、気づいた時にはお互いに消滅してしまう可能性すらあると思います。
現状の目に見える「敵」ばかりを考える「戦略」は、思考法自体が古いと言わざるをえないのです。
それでは、結局、わたしたちは「戦略」をどのように考えればよいのでしょうか。
>「戦略」に必要な5つの条件 につづきます。