栗田 亮
ビートルズはモッズだったんですか?
引き続き、ファッション専門学校の講師時代の思い出話です。
「モッズって何ですか?」という質問に答えていた際に、生徒から「ビートルズってモッズだったんですか?」という話が出ました。ネットにそういう話が出ているそうです。
ビートルズは、デビュー前は正反対のロッカーズファッションをしていたがマネージャーの指示によりモッズファッションでデビューした。(ウィキペデア)
なるほど。
同じく、ユーチューブで、ビートルズの主演映画「ビートルズがやって来る ヤァ! ヤァ! ヤァ!(A Hard Day’s Night)」(1964年)の一場面で、女性インタビュアーがリンゴ・スターに
「あなたはモッズなのかロッカーズなのか」
と尋ねるシーンを見ることができます。
この映画は、ビートルズ人気が絶頂の頃「低予算で楽しい映画を作る」という方針の下、わずか7週間で撮影された作品です。ビートルズ自身がビートルズを演じるというパロディーなのですが、作り方が荒削りな分、ドキュメンタリー映画のようにも見ることができ、当時も、ビートルズはモッズなのかロッカーズなのかが、巷の話題になっていたことがわかります。
その時のリンゴ・スターの答えは、
「どちらでもない、僕はモッカー(mocker)だ」
というもの。
モッカーだと言うのば、ビートルズはモッズとかロッカーズとか言う区分ではなく何か別のものだと言っているわけですが、mockerにはもうひとつ「嘲る人」とか「滑稽に真似る人」という意味もあるのです。
モッズとロッカーの両者をかなり馬鹿にしているわけで、こうした、世の中を舐めたスタイルが当時のビートルズの魅力だったと言えます。
ビートルズのイメージ戦略を担当したのは、マネージャーのブライアン・エプスタインです。
ブライアン・エプスタインの伝記「ビートルズを作った男 ブライアン・エプスタイン」を読むと、彼がどうやってビートルズを「発掘」し、世界に売り出していったのかを知ることができます。
イギリスの地方都市リヴァプールで演奏していた頃のビートルズは、黒い革ジャンにリーゼントというスタイルの、いわゆるロッカーズバンドでした。
垢抜けしないビートルズの面々は演奏中に煙草を吸い、コカ・コーラをらっぱ飲みし、曲の間にはメンバー同士で、そして熱心なファンらしきティーンエイジャーたちとふざけ合っていた。
そんなビートルズを「発見」したブライアン・エプスタインは、自分がマネジメントすれば、エルヴィス・プレスリーを超えられると直感し、彼らとマネジメント契約を結びます。
ビートルズの面々はいずれも、強烈で人をいらいらさせる性格の持ち主で、ブラインもそんな彼らを愛していたが、マネージャーとしての彼はビートルズを教育し、革ジャンを脱がせ、もっと幅広い層の人々が親しめるグループにしなければならないと考えた。彼らを知る人間はみな、それは至難の業だと考えた。しかしブライアンの決意は固かった。彼らの音楽は彼ら自信のもので、手を触れてはならないものだった。しかしブライアンは彼らよりずっと、イメージ作りについて詳しかった。
こうした方針の下、ブライアン・エプスタインは、ビートルズのイメージ改造に着手します。
ビートルズに、ステージ上でのおしゃべりを慎み、客に混じって酒を飲んだり煙草を吸ったりするのをやめ、プロとしての態度をしっかり身につけるよう、しつこく要求した。しかしこうしたアドバイスは無視され、ブライアンは、一刻も早くグループのリーダーを味方につける必要があると痛感したのだった。
ブライアンはリーダー格だったジョン・レノンから説得しようと考え、彼を自宅に招き、自分がビートルズのギャラをアップさせ、ロンドンへ「進出」させるから、そのためにはもっと小ぎれいな格好をしてもらうしかないと説明しました。
「音楽には口出ししないし、結果さえ良ければ手段などはどうでもいいじゃないか。」というのが殺し文句でした。その言葉に、疑り深いジョン・レノンも最後に納得したのです。
自分たちのサウンドを守れるなら、スタイルは妥協しても良い。リヴァプールからロンドン進出を目論んでいたビートルズにとって、ブライアン・エプスタインは、「リヴァプールから飛び出すための格好の道具」だったともいえます。
ブライアン・エプスタインはビートルズに4人に、高価なモヘアのスーツを自前で買い与え、ステージ上のマナーを改善させました。
ビートルズのスーツはブライアンの指定通りのものでなければならなかった。風変りであっても、非正統的なものであっても構わなかったが、あくまでスマートであることが要求された。ビートルズの外見を決めようとする中で、ブライアン・エプスタインの中に潜む服飾デザイナーへの憧れが顔を覗かせた。それは細心の注意を払った作業だった。キャヴァーンを訪れたブライアンが釘付けになった生々しい素朴な魅力を残したまま、ジーンズと黒い革製のボマージャケットから、大人の鑑賞に耐え得るもっと普通の服装に変える必要があった。
その結果出来上がったのが、有名なビートルズ・スーツです。
出来上がったのは四つボタンの、黒いヴェルヴェット製の襟付きで、外にはプリーツのないダークグレーのハイボタン・ジャケットだった。ジャケットには8インチのサイドプリーツがあり、筒形のカットで、肩の部分はビートルズのメンバーが着られる範囲でできるだけ狭くしてあった。細身のズボンは、ビートルズがそれを穿いたまま座ることができないほど、ぴったりとしたものだった。将来に備えて、ブライアンは自分の選んだ色―シルヴァーグレー、ブルー、ネーヴィーブルー、ベージュ、黒 ― のスーツを、数着ずつオーダーした。
伝記には、モッズやロッカーズという言葉は一切でてきませんが、ロックバンドにモッズ風のスーツを着せるというアイデアは、ブライアン・エプスタインの独創だと思います。ロンドン進出のイメージ作りのために着るスーツが、当時ロンドンで人気だったモッズ風になったのはもうなづけます。
もしブライアン・エプスタインが現れなければビートルズはリヴァプールという一地方の人気バンドで終わっていたかもしれません。
まとめ:ビートルズはモッズだったんですか?
・もともとビートルズにはファッション・ポリシーはなかった
(サウンド重視でロッカーズ風の田舎臭いバンド)
↓
・マネージャー(ブライアン・エプスタイン)のイメージ戦略
↓
・4人にモッズ風スーツを着せステージマネーを改善(サウンドには手を付けず)
↓
・結果、モッズ風ファッションでロッカーズ風サウンドのバンドが成立
↓
・これがビートルズ・スタイルとなり大人気に
ところで、このブライアン・エプスタインの伝記を読むと、彼がいわゆるマネージャータイプではなく、むしろ芸術家肌の「奇人」に近い人だったことがわかります。
ビートルズを「発掘」し、世界に売り出した人物は、いったいどんな人間像を持っていたいのでしょうか。
次回は、この「ビートルズを作った男 ブライアン・エプスタイン」についてもう少し詳しく解説しますね。
では、今回はここまで。
(キンコンカン)
おまけ:ビートルズのデビュー映画が、わずか7週間という短期間で撮影されたのは、その年の夏に映画を公開させるという映画会社上層部の方針があったからで、その理由は、ビートルズのブームは秋まで持たないだろうと見通しがあったからです。(音楽ドキュメンタリー「ザ・ビートルズ Eight Days a Week」による)