久保 雅裕

2019 27 Sep

ファッションの持つチカラと無力さ

 

音楽がファッションに及ぼす影響は、その音楽ジャンルのスタイルに規定されていることが多い。さらに音楽とスポーツも絡んだスタイルを形成することもある。なかでも分かりやすく具現化されたスタイルが、ヒップホップ文化だろう。米国のストリートから派生して、バスケットボールやブレイクダンス、スケートボードの影響を強く受けたスタイルがファッションにも取り入れられてきた。だが、本来は心の叫びを、韻を踏みながら表現してきたのがヒップホップの中核、ラップ。そして、それをインドという舞台で昇華させたのが本作『GILLY BOY(ガリーボーイ)』だ。

ムンバイ出身で有名になったラッパー、NaezyとDivineの実話をもとに作られた本作は、ムンバイのスラム地区「ダラヴィ」に住む大学生の主人公、ムラド(ランヴィール・シン)が、著名ラッパー、NAS(ナズ)の前座をコンテストで射止めるまでのサクセスストーリーを描いている。彼のMCネームがガリーボーイ(路地裏の少年)だ。

日々の鬱憤や不満、不公正に対する怒りをぶつけるリリックに共感の渦が広がっていく。これこそが現代インド社会の抱える大きな矛盾と課題なのだが、その表現手段として、音楽の持つ力強さがひしひしと伝わってくる。そして、その言葉の前には、ファッションの無力さも露呈させられるのだ。ムラドは、コンテストの決勝当日、コネで雇われた叔父の会社から彼の制止を振り切って飛び出し、ワイシャツにスラックスという野暮ったい出で立ちで舞台に上がる。米国流のヒップホップスタイルに身を包んだライバルたちに、からかわれながらバトルを繰り広げる訳だが、そこには服の持つ力が何の威力も発揮せず、言葉の力の前に霞んでいく様が見て取れる。「いかに本質的なものが意味を持つのか」という問い掛けを我々に提示してくれる。ファッションは上昇する経済と余裕の象徴であり、それがベースとならない限り、萌芽期においては、力を発揮できないのではと、ふと思わされるシーンでもあった。

だが一方で、ムラドの家に欧米の観光客がスラム見学ツアーで訪れるシーン。この時にムラドが来ているTシャツが「NAS」のロゴ入りで、観光客とNASを巡って会話をする場面がある。「趣味嗜好の音楽との繋がりを自己表現する手段としての服」というファッションの在り様を象徴するシーンでもあった。つまりTシャツは、ムラドを励ますツールにもなっていることを表しているようにも見えた。

映画の中で象徴的に流れる楽曲「Apna Time Aayega(俺の時代は来てる)」「Mere Gully Mein(路地裏が俺の庭)」にグッとくる観客が続出するのではと期待している。

10月18日から新宿ピカデリーほか全国ロードショー。