久保 雅裕
新しい価値を見出すには、どん欲さと自由な精神が不可欠
©️Roloff Beny / Courtesy of National Archives of Canada
かれこれ20年程前の事。繊研新聞社でインポート分野を担当しており、「スペイン特集」の若手デザイナー取材でバスク地方の都市、ビルバオを訪れたことがある。まだブランドを始めたばかりの「ミリアム・オカリス」のアトリエを訪れた。現在は武装解除し、国会議員も出す合法政党として活動している「ETA(バスク祖国と自由)」がまだ中央政府要人を狙った爆弾テロなどを繰り返していた頃だ。ビルバオは工業も盛んで、バスクも比較的生産力の高い地域のため、いわゆる南北格差問題を抱え、「南の地域を食べさせている」という自負に加えて、独自の言語と文化やルーツにも支えられた独立運動が激しく展開されていた時期だった。そんなエリアだけに多少の緊張感を持って訪れた先で目にしたグッゲンハイム美術館の容姿には、目を奪われた。幾重にも連なる放物線の外観をタクシーの中から眺めただけの出張だった。一昨年の夏、ようやくゆっくりと訪れることができ、心の奥底に小さく仕舞ってあった夢を叶えることができた。NYのグッゲンハイム美術館の時とは全く違う印象でもあった。
さて残すはイタリア・ベネチアの美術館「ペギー・グッゲンハイム・コレクション」という事で、本題に移るわけだが、『ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪』は、個人のものとしては質量ともに世界最大級のコレクションを集めたペギー・グッゲンハイム女史のドキュメンタリー映画だ。その登場人物がスゴ過ぎる。デュシャン、ダリ、ジャコメッティ、モンドリアン、ブランクーシ、コクトー、ピカソ、ミロなど錚々たる面々。また何と言っても彼女が見出した最高の才能は、ジャクソン・ポロックだろう。なんと俳優のロバート・デ・ニーロも登場する。彼の両親は共に画家でペギーのNYの画廊に出品していたそうだ。
NYの大富豪、グッゲンハイム家に生まれたペギーは13歳の時にタイタニック号沈没で父を失う。それからは伝統と格式だらけの世界から逃れるため、第一次大戦後の解放的な雰囲気溢れるパリへ単身渡欧し、当時まだ価値を認められていなかったシュルレアリスムや抽象絵画などの革命的な表現に出会う。自由を謳歌する反骨的な芸術はペギーの肌になじみ、芸術家たちを支援する中で、「世間知らずの令嬢」から「現代美術のコレクター」、そして「伝説のパトロネス」へと華麗なる転身を遂げていく。
ナチスドイツから逃れる際に、ルーヴル美術館に絵の所蔵を依頼するも、その価値を認めてもらえず断られ、多くの絵画とともにNYに避難するペギーだったが、その当時のルーヴルは見る目が無かったのだと気付かされる。戦後の凱旋は、隣のオランジュリー美術館で行われたのだから、さぞ痛快だったことだろう。
ペギーは「収集作品より恋人のほうが多かった」「女性の自由と権利の“荒れた”見本」などと揶揄されるが、真に解放された自由な精神を持ち併せていたからこそ、誰もが見向きもしない時代に新しい価値を見出し、恋人を見初めるのと同じくらいどん欲に収集していったのかもしれない。
先入観を持たず、どん欲に食らいつく程の気合いが無ければ、新しい価値など見つけることも提供することも叶わないのだろう。そんな大切なことを気付かせてくれる映画かもしれない。9月上旬、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開予定。
©️“Courtesy of the Peggy Gugggenheim Collection Archives, Venice".