繊維ニュース 編集部ブログ

2019 16 Aug

「鬼門、裏鬼門」

 【大阪本社】昔、中国の東方に度朔山(とさくさん)という山に大きな桃の木でできた門があった。その門には2人の門番がいて、夜になるとその門から鬼が出てきて、朝になるとまた門を潜って山に戻っていった。夜のうちに悪さをした鬼は2人の門番に締め上げられ、虎の餌にされてしまう。そうすることで、山の平穏が守られていた。

 「鬼門,裏鬼門」の考え方は、中国から入ってきた陰陽五行思想によるもので、北東は鬼門、反対に位置する南西は裏鬼門と呼ばれ、邪気が集まるとされる方角だ。平城京では鬼門の方角に東大寺が建てられ、平安京の建設では鬼門の方角に比叡山延暦寺が建てられた。清浄な神社仏閣を邪悪な鬼門の方角に配置することで、鬼門封じをしていた。徳川家康は鬼門対策のため、江戸城建設の際には江戸城から北東の方角に寛永寺を建設して邪気を封じた。

 「鬼門、裏鬼門」の考え方はこのように中国から入ってきた都城制を作るに当たっての考え方で、現在の住宅建築、マンション建設に適応するには、不向きである。土地の広さや方向の制約、道路の接地などの制約があり、住宅地に当てはめることは極めて難しい。しかし、不動産取引、住宅建築の際、気にする人も多く次のようなことをして対処している①鬼門、裏鬼門に当たる場所は特に奇麗にして、盛り塩を置く②鬼門、裏鬼門に柊(ひいらぎ)を置いたり、南天を植えたりする――などさまざまな方除けをしているらしい。(博)