船橋 芳信

2019 25 Mar

4)Corso Venezia 16 Milano

4)Corso Venezia 16 Milano

モノローグ
198某年6月21日、ENZINO の誕生日、誕生パーティの案内状が届いた。
via California Novara,  Casa di Urano Palma
ノヴァラは、ミラノ西南、30キロにある街だ。
ウラノ・パルマ、現代アートの彫刻家、其の作風は、何にでも穴をあける、
オブジェのような椅子、テーブルが、独特の雰囲気を醸し出す。
 彼の生活は、破天荒で、やる事為す事が、奇抜で、まるで映画のシーンを、
思い出すかのようなインパクトを秘めていて、今でも彼との出来事は、
記憶の中から鮮明に浮かび上がって来る。
 カルフォニア通りは彼が勝手に、名付け、看板を立てた、野原の一軒家の農家だった。
エンツィーノとウラノの誕生日を祝うのに、ミラノから、車で駆けつけて、
田圃のハゼ道には、200台近い車が、乱雑に駐車してあった。
 流石の農家も、300人近い人間には狭すぎた。夏が近い6月下旬ミラノ特有の蚊の襲来に、
マッシモ、アンドレア、ピーノ、等とこんな田舎での誕生会に、不平を漏らしては、
プロシュート、クッキー、サラミに、スプマンテを流し込み、パーティーは入り乱れての
会話、談笑、まるで、夜中の暗闇の田んぼの中に、薪で炎を焚いたかのような、
光景となって闇夜に浮かび上がっていた。
 0時が近くなると、花火の競演、0時を打ち鳴らすと、村の方から、軍楽隊がやって来た。
パッパッパーパーパーパー、バースデイソングを鳴らしながら、村の軍楽隊が登場すると
誕生会は佳境に入り込み、夜半遅くまで飲み会が続いた。
 エンツィーノは派手な事が好きな割には、シャイな性格で、表には出てこないが、
人を笑わせるのには事欠かなかった。彼を通してて知り合ったイタリア人に、Enrico Coveri, 
Santo Versace, Fiorucci , Massimo Albini,Branceschi, Claudio Viola, 
Andrea Menghi ,Pino Gavazzeni,,,,,
 
今年一月、エンツィーノの入院を知って、毎週末コモの入院先に見舞った。
エンツィーノは約20年前に肝臓移植手術を受けている。あれから奇跡的な存命は、医師等を驚かせていた。
2月に入って、容態は急変していった。
ナポリの親友、トニーが駆けつけた。
アンドレアとトニーと私を前にして、ベッドの上で、エンツィーノは自分の意志を伝えた。
エンツィーノの入院は2ヶ月近くになっていた。
「薬と治療を拒否した。」
我ら3人はそれを聴いて、エンツィーノの死の覚悟を識った。
ハッと息を呑む我々に、「もう充分だ。先が無いのが判っている。
オレの肝臓も腎臓も機能していないんだ。」
 「yoshi!お前は賛成するか?」
エンツィーノに聴かれて、「エンツィーノ、エンツィーノの意志を尊重するよ!」と答えると
「おお、Yoshi お前は判ってくれるな!俺は満足だ!」
そう言って俺の手を握った!
「Yoshi, お前に残したいものがある。受け取ってくれ!レッラに伝えてあるから!」
それから数日後、エンツィーノの訃報を聴き、急ぎ、コモの病院の霊安室に、
エンツィーノに会いに行った。
 安らかな死に顔は、まるで青年をおもわせるエンツィーノに
、蘇っていた。
「さようなら!エンツィーノ MIO!」何度も何度も声をかけ、彼の頬に別れを告げた。