船橋 芳信
2019
26
Nov
食と物作り!



食と物作りを考える
日本行きの愉しみは、食との出会いだ。
31日着いて、直ぐに行きつけの寿司屋で昼食をとった。
江戸前寿司は、ネタに味付けされて出てくる。
鯛は昆布締め、蛸は甘い醤油を、穴子は既に醤油で甘く煮て、
寿司は、ほとんど醤油を付けずに食べる。
上方の酢飯は、砂糖を使う。江戸前は砂糖を使わない。その昔、砂糖は、高級な食材で、
上方、特に大阪は商売の街、お金は市場に溢れていたのに比べ、江戸は侍の街、
大阪に比べるとお金の流通は、少なかったのか、高価な砂糖は敬遠された。
江戸前の酢飯は、酢と塩、酢は塩のしょっぱさを消し、塩は酢のしょっぱさを消し、
甘味を引き出す。酢飯の甘酸っぱさを、塩と酢だけで作っている。
シンプルで軽い酢飯が江戸前寿司の持ち味だ。
行き付けの江戸前寿司、矢寿司はカウンター9人掛け、3人の寿司職人が、寿司を握る。
いつも、親父さんに握ってもらっていて、その寿司のシャリの具合は、絶妙に旨い。
その日は混んでいて、一番奥のカウンター、つまり握り手が変った。
いつもとなんか違う。すかっとする寿司のシャリ感が何処となくしっくり来ない。
不味い訳ではないのだが、満足感が無く昼食が終わった。
その事に格別、違和感も無く数日が過ぎ、友人から,夕食の誘いが入った。
谷中の穴子寿司を食べに行かないか?との誘いに二つ返事で、誘いに乗った。
カウンターの7人掛け、ここは親父さん1人で寿司を握っている。
卯の花、白和え、トコブシの貝煮等つまみを数種類食べ、寿司を食べる。
美味しい。かんぴょう巻で締めた。おいしい寿司だったが、ふと、
数日前に食べた寿司の何が違うのか、と考えた。
握り手が、変った事が、原因だったのに気が付いた。
握る職人に依って、微妙に味に変化が出るのは当然だ。
同じ店なのに、味が変わった事が妙に疑問を残していた。
物作りも同じ、人が変われば、好みに依って、仕事の内容も変化するのは、当然の事だ。
長崎での最後の食事に、刺身を頼んだ。
マグロの赤身、カンパチ、鯛、、、見事に不味い。
どうにかまだ食べれるギリギリの鮮度の刺身を前に、ある料理屋の刺身を思い出した。
鰹の刺身を出されたが、見事な新鮮さで、三種類の薬味で供された。
ここのご主人は、朝一番、河岸で魚を自分の眼で見て仕入れる。
その仕入れた魚を捌き、調理する。料亭では、電話で魚屋に電話して、魚を取り寄せる。
既に其処にコダワリの度合いは、大きな差異を生じている。
旨い不味いには理由がある。
その理由は、それぞれの人間の仕事への取り組みに関わっている。
食は、物作りの原点とも云える種々の要素を含んでいる。