船橋 芳信

2019 28 Nov

第二回SPレコード鑑賞会

第2回 SPClub レコード鑑賞会は、11月06日に開催した。

 オペラの世界をファッション業界に働く人達に、広めたい僕の願いが、この企画となりました。
SPクラブの会長に、メンズファッションライターの矢部さんになっていただき、二回目を迎えました。
19世紀、産業革命に依って人間生活のベースとなる製品生産活動が始まった。
産業革命は、新しい時代の夜明けとも謳い、人は時間を労働に充てその見返りに賃金を貰う、
資本の元に統合される生活に突入して行く。
そんな中、ベル、エジソンが、声を再生する装置を発見し、レコーディングと言う、
人の声を1枚のプラスティックの円盤に、吹き込みそれを再生するレコードを発明しました。
 1880年前後の事です。今から130年程前のことです。
この、レコ−ドの発明により、音楽は、どう変化して行ったのでしょうか?
1902年、ドイツ人のビクターの録音技師、フレッド・ガイスバークはレコードの音源を求めて、ヨーロッパを訪れます。
そしてミラノで、エンリコ・カルーソと契約し、大成功をします。
 此の時期、カルーソは、一回分の歌のギャラで、数枚録音しています。
次に、フランチェスコ・タマーニョとの契約で、タマーニョは、1枚売れれば幾ら、
つまり印税の契約をしています。タマーニョとの契約で、印税収入者、第一号となりました。
 1902年は未だ電気録音の技術は無く、一回の録音で、何万枚ものレコードを作れる技術は無く、
何度も同じ歌を歌ったそうです。
 そんなタマーニョはどんなテナーだったんでしょうか?
1950年トリノ生まれ、15人兄弟の末の子供だった。父親はオペラへの憧憬が深く、タマーニョを、発声の先生に就かせ、
声楽、ベルカント唱法の教えを学ばせている。親友だった、アリーゴ・ボイト、ベルディの脚本家の勧めで、
ベルディのオテロへの作曲を問いただし、オテロ初演のテナーとして、オテロを演じる。
 彼の声楽のテクニックはイタリアの伝統のテクニックと深く結びつき、脚本の表現、テキストを明瞭に重視した
その歌唱は、台本の意味を十二分に理解し、ベルディの意志を完璧に表現していた。
 その声は、バリトンのように重く暗く、言葉ははっきりと伝えられ、その声の響きは、スカラ座の天井を破って、
外に迄響いたと言われている。
 偉大な名声と経済的成功が達成されたにも拘らず、質素な倹約を念頭に置いた生活は、ホテルは二流、
旅する列車は、2等車、全ての服は自分で洗い、又蝋燭持参で、電気は使わなかったそうだ。
 芸術とは、真に表現する対象に、真摯に向き合う事!
過去の芸術家との対話の一環になれば、SPレコード鑑賞会は、大いなる音楽の価値を聴かせてくれます。