船橋 芳信

2019 25 Jul

料理孝

料理孝

始めて、包丁を手にしリンゴの皮むきに興じたのは幼稚園の頃だった。
お手伝いのシマ子ねえさんが、リンゴの皮を繋げて切るのが出来るかと、
自慢げに、やってみせてくれた。長々とリンゴの皮が、楕円を描きながら、下へ下へと
繋がり落ちて行くのに驚嘆したのを覚えている。それから、見よう見まね、リンゴ片手に
包丁で、皮むき作業に没頭した。
 大学に行くと、自炊生活、食事作りはお金が底をつき始めるとご飯を炊いて、
大家の庭に咲いてる菊の葉を採っては、天婦羅にし、醤油をかけて米ばかりを食べていた。
そうこうしてる頃の夏、長崎の親友が食べ歩きと称して、東京にやって来た。
一週間で50件を食べ巡ると言う。文芸春秋社から出版されている、東京旨いもの食歩きというガイドブックを
見ては、天婦羅、寿司、おでん、フランス料理、蕎麦屋、ラーメン、トンカツ、洋食屋、割烹、うなぎ、と
有名どころを食べ歩く。3、4、軒辺りから食欲は減退して行くが、彼は食べ続ける。
 今でも印象的に残る、お茶の水駅近い天婦羅屋、
石階段を25段程上がったお座敷料亭の暖簾を潜ると、玄関の三和土の上、
板の間に三つ指就いた女将さんの、挨拶を受け、待合室に招かれてお茶を供される。
かなりの緊張感を強いられる。
しばらくすると、ご案内をと、仲居さんに導かれて座敷へと案内された。
其処はお座敷天婦羅で、半円形の座卓の内側で、正座して待つ事5分、襖を開けて、
板前さんが、座して礼をし、「入らせていただきます。」
半円形の内側に、正座して天婦羅を揚げる。
 黙々と仕事する料理人、緊張して味も定かでない若年小僧の私、連れは堂々とした体で、
料理の善し悪しも吟味しながら食している。
 日本料理には、舞台がある、と言う。正に食するは観客、演ずるは料理人、
舞台はお座敷天婦羅、当時、月に二万円の仕送りで一ヶ月を過ごしていた身に、
一食、一万四千円、一日7軒の料理屋を食べ回った。
食べると言う事の意味に少し近づいた貴重な体験を、友人から戴いた。
 大学を卒業した。ファションの仕事の入った。イタリアへ渡航した。
ミラノを訪れた、古波蔵保好先生とオペラの縁で知り合った。
日本へ行く度、東京の古波蔵先生にお世話になった。
先生行きつけの東京の美味しい、洗練された味のお店に連れて行っていただいた。
 数々の話の中で、文芸春秋の東京旨いもの食歩きの中華編は、先生が編纂されたのを知った。
「君、万物の霊長たる人間ですよ。滅多な物は、口に入れてはいけませんよ!」
 先生の口癖が、懐かしく思い出される。