内田 文雄

2017 22 Dec

私が中国で起業することになったキッカケ 8!(香港、韓国ユニクロの立上げ編)

2006年は東京都心のユニクロ銀座店PJもやりながら、日本国内のモールに続々と大型店をオープンさせる事をメイン業務として担っていました。

 

もちろん、当初から日本国内と並行してグローバル領域での業務も、積極的に次々にチャレンジさせてもらっていました。

ワールド時代にはアジア5カ国に10年間、毎月の2/3、つまり年間の2/3も出張に行っていたので、マーケット特性や、競合ブランド、何が消費者から好まれるか、またMK、販促コミュニケーション手法なども熟知、各国に人材ネットワークも有って、それを活用していました。

 

2006年当時のユニクロは、アジアでは中国しか現地法人が有りませんでしたが、丁度香港、韓国にローンチするタイミングでもあり、自分の強みを最大限に発揮出来るということで、ノリノリで仕事をやっていた記憶があります。

 

まず、香港の1号店はミラマーMALL(美麗華)に出店、正直それまでのミラマーはITやMUJI、その他日系のICE FIREなどはあったものの、現在のような九龍サイドのメイン商圏ではなく、香港マーケットを熟知していた私からすると「本当にこの館に出店して大丈夫なの?」と思ったほど寂れた施設でした。

当時、香港の都心で700㎡級の大型店を出店できる館は確かに少なく、この館に出店すると判断した事が、その後の香港でのユニクロの成功の元になっています。

ミラマー側からしても、「ユニクロに助けられた!」と心底感じていると思います。それが今年3月のGU香港1号店がミラマーに出店できたことに繋がっています。今のミラマーは、アパレル企業がこぞって入りたい館の一つにまで変化しています。

人で言えば、当時の香港事業責任者の潘さんや、MD西村さん、笹井店長、新卒のBENちゃんとの、想い出はたくさんありますね。

 

1号店オープン時は、UJ(UNIQLO JEANS)をメインキャンペーンで行い、売場をジーンズで埋め尽くしたVMDをしたことを覚えています。当時一緒に売場を作成した、VMDのMOONちゃん(愛称)とは10年以上経った今でも仲良くさせてもらっています。

館を蘇らせたユニクロ香港1号店

 

続いて同年にロッテとの合弁で明洞のど真ん中、ロッテヤングプラザにローンチしたのが、韓国1号店。それからすぐに近くの明洞の商店街に4層の路面旗艦店をオープンさせました。この時は、韓国でのユニクロの知名度、人気も上がり、オープン日には300人くらい行列が出来たのではないでしょうか。

 

この韓国事業責任者の果瀬さん、安さん、そして金子さん、日本新店チームの児玉さん達には、本当にお世話になりました。店舗が一つ、また一つと、ソウルだけでなく、釜山や地方都市に広がっていくプロセスを体感できた事や、日本のユニクロのキャンペーンを踏襲しつつも、韓国ならではのやり方で落とし込むなど、当時からユニクロの今年のスローガンでもある「Global is  Local、Local is Global」を地でいっている姿がありました。

古い百貨店跡地にオープンした明洞旗艦店。韓国でのユニクロブームの元になった店

 

韓国は、中国同様に、過去の事があり抗日(反日)のお国柄、その国で日本企業が買い物という行為で、消費者の方に支持をして頂けると言うことは並大抵の努力では出来ないことです。もちろん、合弁先のロッテの力も多少はあったかと記憶していますが、日本側の駐在員の言葉も含めた現地化、日本からのサポート者の努力の賜物だと思います。

 

ということで、いま振り返ると2005年-2006年は国内業務では、店舗がどんどん大型店化していく中での新たな標準化作成、それと物凄いスピードでグローバル出店(大型店化)をしていく時代でもあったなぁと。

 

次回は「中国支援と、ジルサンダーさんとの出会い編」です。

 

それでは!