内田 文雄

2017 19 Dec

私が中国で起業することになったキッカケ 7!(銀座に大型店オープン編)

2005年10月、大人の街、ラグジュアリーブランドの街銀座に、ユニクロの大型店がオープン(現在のGU銀座店の場所)。銀座をこよなく愛する方々からすればそれはそれは衝撃的だったと思います。

とは言っても、それまでにも実は銀座にユニクロは存在していました。名鉄メルサ(現在のイグジットメルサ)の上層階に、つまり表に出ていなかっただけで。

 

当時を思い起こせば、銀座店プロジェクト(PJ)は社内でも横断的な試みとして期待されていました。

前年2004年に心斎橋筋店(これも現在のGU心斎橋筋店)もオープンさせていて、ユニクロが次々に都心に大型店!と話題になっていました。海外から観光客が多く訪れる日本の都心に大型店を出店すること、要はグローバル化へのスタートが既にきられていた訳です。単純に海外に店舗網を拡げることだけがグローバル化では無いということです。

現在のGU銀座店のビル(ワシントン靴店)に1-5Fで男、女、子供服を展開していました

 

私がユニクロに入社したのは3月末なので、銀座店オープンまで半年を切っていました。当然ながら内装デザインは決まっていて、どんどん施工は進んでいて、店内の売場表現をどのようにするべきか?商品レイアウト、VMDは何を新しく導入するか?など...はまだ修正が可能なので、これらがこのPJで私に与えられた最初のミッションだったと記憶しています。因みに店舗デザインは、KDa社(クライン・ダイサム・アーキテクツ)、ユニクロ側は私と同じ元ワールドの後輩の渡辺有紀さんが担当していました...笑

 

私が入社する前から毎週毎週、銀座店PJ会議が開かれていました、私はそれに途中から真っさらな状態で参画することになります。まずは現場(店長、店舗運営、MD、MK、VMD、レイアウト、内装)レベルで会議を行い、その結論を会長、社長に提言することの繰り返し。ほぼ毎回が激しいダメだし、それでもたまに褒めてもいただき、「是非チャレンジ、実現させてください!」と暖かいお言葉ももらえたりと、この銀座PJにその当時の業務のほとんどを費やした、と言っても過言ではないと思います。

 

店舗運営チームの人達は、良くも悪くも原理原則の固まりの人ばかり...それも仕方が無いことです。だって大型店も出し始めたばかりで、大型店のノウハウがまだ何も蓄積されていないのですから。これまでの標準店モデルを基準に、「アレだめ、コレだめ!」の指摘がその都度入ります。「いゃ〜これを導入しないと、わざわざ銀座に店を出す意味が無い!」など押し問答が続きます。最後は、私から「じゃ銀座店で我々ユニクロは、お客様にに何をアピールするのですか?」と...問いただす訳です。すると沈黙が続くわけです。

 

このやりとりを冷静、かつ俯瞰的に見ていたのが、銀座店店長の黒瀬さん(現在、台湾ユニクロ責任者)でした。もちろん彼は店長なので店舗運営チームに属する立場なのですが、VMDの私の意見も尊重してくれ、「新しい演出を銀座のお客様に感じて頂く必要がある!」と言ってもらい、次々に新しい売場演出も一緒に考えた思い出があります。

 

時にはその彼とも言い合いにもなりましたが、「銀座店を世界一のユニクロの店にしたい!」という彼の気持ちを、応援せずにいられないほど熱い人でした。黒瀬さんに出会えたことで、彼から旧態然としたユニクロではなく、進化しなければ、今後勝っていけないユニクロの商売を学びましたね。

*その後、私は2010年8月に上海で起業するために、ユニクロを退職することになるのですが、そのユニクロ在籍時最後の仕事が上海旗艦店(南京西路)で、店長は黒瀬さんでした。ユニクロ最初の仕事と最後の仕事、これには縁を感じました。

 

上述のような事が毎週続き、オープン3週間前から商品投入、2週間前にはマネキンも投入、当時のユニクロとしては最大の200体ものマネキンにディスプレーして、オープンの日を迎える事ができ、結果的に予算も大きく達成し、それはそれは感動したことを昨日のように覚えています。

それまでのPJ会議の場では色んな人から「それはアパレルの発想だ!」「小売/ウチには似つかわしくない!」「そんな数のマネキン、誰がどうやってメンテナンスするのか?」とか、私の考えや、思考を中々理解してもらえず、正直頭を悩ませました。

店舗運営のチームチームの人達の不満や、変えることへの不安など、その一つ一つを具体的に丁寧に説明し、ルールが無いので新しいルールを一から作る事もやり、言うばかりでなくやって見せる手法も取り入れ、何とか「VMDの必要性」「VMDだから変えれた事」を、会長はじめ会社の方々全員に体感してもらえたことで、私自身も認めてもらえたと実感したものです。

 

余談ですが、銀座店PJの成功で僭越ながらVMDチームとして会長から褒賞も頂き、3月末当時はまったくの平社員で入社したのですが、10月の人事で運良くリーダーに格上げにしていただいたのもこの頃だったと記憶しています。

 

次回は「香港、韓国ユニクロの立ち上げ編」です。

 

それでは!