北村 禎宏
何が正常で何が異常か
大阪で犠牲者を伴う震災が発生した。交通機関の混乱をはじめ、何かとあわただしかったであろうとお見舞い申し上げる。
前日の気象情報では「50年に一度」や「これまでに経験したことがない」という形容表現が再三繰り返された。紙面には「低温続き夏物総崩れ」との見出しが躍った。旧暦でMDカレンダーを設定すると意外と実際の季節感とシンクロしやすいことは以前にも述べた。東洋の経験値に基づくナレッジとして誇るべき旧暦ではあるが、しょせんオーダーは数百年~比較的若い数千年だ。
少なくともここ15万年の気象の推移の詳細が科学の力で明らかになってきた。「人類と機構の十万年史/中川毅」(講談社ブルーバックス)を参照されたい。ミランコビッチ理論とは10万年を周期とする地球の公転軌道の離心率変動と気象との間に関連があるというものだ。さらに、2万3千年で歳差運動により一回転する
地球の自転軸の回転が夏と冬のコントラストに影響を及ぼす。水月湖から採取された15万年の年縞は地球の離心率変動および歳差運動と周辺の植生が見事にシンクロしていることを教えてくれた。
粗々の時期も含めると気象予報がはじまってからおよそ400年になるそうだ。精度が向上したのはたかだかこの何十年のこと。50年に一度というのは、たった50年をn=1としただけで気象学・地質学的にはモノサシとして何の意味もなく、過去においては普通に何度も繰り返されたできごとだろう。しかし私たち人間にとっては
記憶と記録の揺する限りというエキスキューズを伴って、一生に一度か二度しか体験しない希な事象と連想されるので情緒的には意味のある表現に聞こえる。
系の推移には安定層と周期層と乱雑層がある。農業や工業の発展すなわち現代の人間社会の形成は、たまたま地球の温暖期と安定期が合致したここ数千年の出来事に過ぎない。1993年のような冷夏が10年に一度なら備蓄の取り崩しと翌年の立て直しで今の農耕社会は維持できるそうだ。ところが、10年に三度四度と激烈な気象変動が発生するとそれは崩壊する。
そうなると食糧確保手段としては狩猟採集に軍配が上がるが、開発され尽くした地球上にもはやそれに適したエリアは僅少で、かつ地球人口は狩猟採集生活で支えることができる数をゼロ二つ三つほど超えてしまっている。急速な地球温暖化を寒冷期×不安定の時代の前触れととらえることも考えられるし、本来地球がもっている自己サイクルに人間が手を加えて史上初めての事態に突入しつつあるのかもしれない。オゾン層の破壊と排出二酸化炭素の急増だ。
今の社会のありようと私たちの記録と記憶を前提にしたときに異常と表現することができるが、本来的には異常も正常もなく常に変化し続けるという定常状態を有しているのが地球であり自然だと考えるべきだろう。企業の存在意義も変化対応業であるように人間の使命も変化対応であって欲しいが、よからぬ変化の震源地になっているようでは元も子もない。