北村 禎宏

2020 20 May

久々の東京

 およそ二か月ぶりに東京に出張した。パートナー企業のオフィスを拠点にウェビナーを開催する必要があったので、決して不要不急の越境ではない。

 1on1のビジネスコンバットトレーニングとグループに分かれてのディスカッションがZOOM上でどれぐらい効果的に実施できるか、若干の懸念はあったものの、むしろより効果的に進めることができてほっとした。

 ここ二か月は自身の生活圏内ですべてを完結していたので、大きく変容した大都市の姿に改めて世界が変わっていることを実感した。新幹線は一両に数名ほどの乗客しかおらず、これが東京駅かと疑いたくなるほどの人の少なさ。

 常宿の四谷三丁目界隈もひっそりとしており、レストランが閉鎖されたホテルのロビーもしんと静まり返っていた。馴染みの店が心配で、もっとも気になるお店は日本橋なのでホテル徒歩圏の三軒を回ってみた。一軒は当面の間休業との張り紙。

 あとの二軒は元気よく営業していたので一安心。炉端焼きの方は日曜日ということもあってか、ほぼ満席。カウンター席の間隔は大きく取られているものの、テーブル席では3人ないし4人が顔を突き合わせて大きな声で談笑していた。お店の考え方とやり様もまだら模様であるが、お客の側もお構いなしの人々が少なくない現状を目の当たりにした。

 カウンター8席の寿司屋は、いつもの通り他に二人の常連さんがいるだけで特別な対策や心配は要しない空間だった。炉端が食材やメニューを絞っていたのに対して、寿司屋はいつもどおりのネタをフルで整えて平然と営業していた。19:30頃に営業は20時までと書かれている張り紙を気にしながら暖簾をくぐったが、親方は笑顔でお好きなだけどうぞと迎えてくれた。

 帰りは16番と17番線が閉鎖されている新幹線のホームにさらにびっくりさせられながらも、一部営業しているエキュートでアテを仕込んで頼まれた土産物もゲットして、次に東京に来るのはいつのことだろうかを思いながら家路についた。

 8合目から上あたりには残雪を伴う富士山はいつものとおりの威容を誇っていた。今年に限っては登山者を迎えることができないことなど「俺にはカンケーねーし!」とでも言わんばかりに。

 感染症の広がりを左右するパラメーターは人々の多様な価値観と行動様式であることを再認識することができた。右倣えがさほど苦にならない日本の感染者の少なさと、その真逆のアメリカの数字がそのことを雄弁に物語っていると私には思える。