北村 禎宏

2020 29 May

ファクターX

 感染被害を最小限に抑え込むことに成功したわが国には何か固有の要因があり、山中教授は「ファクターX」と呼ぶ。

 先日私が書いた「右倣え」の国民性も少なからずファクターXの構成要素であると考えられるが、山中教授は法律で規制されずとも自粛することができる国民性は間違いなくファクターXに含まれているはずで、それは誇るべきことだと述べた。

 そこで私の頭をかすめたのは山本七平の「空気の研究」だ。彼は戦艦大和の沖縄出撃ですら“空気”による意思決定がなされたと看破した。山中氏の発言を法律の規制ではなく空気に支配されて自粛せざるを得なかった、と読み替えると誇るべきことかどうか一概には言えなくなる。

 その昔ギャグ的に流行した「赤信号、みんなで渡れば怖くない!」には三つの含意がある。ひとつは、大勢の横断者の存在は青信号でも車を止める力になり得るということ。次に、皆が渡っているのだからという言い訳は、命を守ることはできないかもしれないが自己責任を回避する有力な手掛かりになる。最後が、皆が渡るという社会的事実は交通規制を超越して正義になり得るということ。

 政治家やメディアの発信や自粛警察の言動が空気を醸成する。目に見えないが空気というやつはそこにあるので抗うには相当の覚悟と勇気が必要だ。したがって、信号は黄色の点滅なんだけど、誰も渡らないので自分も渡らなかったというのがおおかたの正直なところだろう。

 山中氏は、通天閣は青信号に変わったけれど、実際は黄色点滅信号なんだと警鐘を鳴らす。黄色点滅信号を皆がぞろぞろと渡り始めると、誰も左右を確認することもなく普通に歩いて渡るようになる。そこに大型トラックが猛スピードで迫ってきたらそれはもう大参事になりかねない。

 トラックは目には見えるし音も聞こえる。ウィルスは音もなく見えないところから襲い掛かってくる。新しい様式をどれだけの工夫と努力をもって確立することができるか、はたまたやり切ることができずにより大きな第二波に襲われてしまうのか。善玉の空気の醸成されることを願ってやまない。