北村 禎宏

2018 04 Feb

クローズドシステムの限界

 ラニーニャ現象により極寒に見舞われているが、皆さん体調は維持できているだろうか。インフルエンザの累計患者数は300万人を覗う過去最高記録だという。300万人というと、日本人のおよそ40人に一人という計算になるので尋常ではない多さだ。三年前母が見舞われたヒートショックも年間2万人ほどと聞くので、年間死亡者百数十万人のうち、なんと7or8十人に一人はそれで亡くなっていることになる。このような数字の置き換えは場の臨場感を掴むには不可欠だ。

 さて、受験もたけなわをむかえているが今になって昨年の入試問題の不備が相次いで明らかになった。遡っての合格措置と経済的補填は宣言されたものの、当事者にとって失われたモチベーションと時間を取り返すことは並大抵ではないだろうことが容易に想像される。いまさらレールを元に戻すのも憚られるという人も少なからずいるだろう。

 何故に一年近く経過した今なのかが大きな問題だと思われる。いずれも予備校などの講師からの指摘に基づいて大学が重い腰を上げたところ、ようやく詳らかになったという経緯だ。


 クローズドシステムとオープンシステムの議論は、ゲーム理論を引き合いにしてプラスサムゲームを説明する際に引用することが多い。場面はリーダーシップの発揮に際しては、プラスサムゲーム、すなわちWin-Winの構築を目指す必要があるという文脈においてだ。

 外部から何らかのリソースを得ることができていればオープンシステムとして維持も増殖も可能であるが、それらが遮断されらクローズドシステムには限られた寿命がある。シュリンクしながら燃え尽きる宿命にさらされている。ちなみに地球は太陽からさんさんと降り注ぐエネルギーを源泉にした立派なオープンシステムである。しかし残念ながら太陽系は太陽の水素とヘリウムが燃え尽きるまでのクローズドシステムに過ぎない。太陽系を包含する宇宙全体は、おそらくオープンシステムであると想定したいが、今の宇宙物理学では明らかにされていない。

 大学という場は間違いなく究極のクローズドシステムだ。象牙の塔と言えば聞こえがいいが、世間知らずのただのオタクという意味にも解釈できる。今時の入試に耐えうるクオリティを担保することは並大抵ではないことも理解できるが、あまりにも外部との相互作用や外部からの情報に対する感度が閉鎖的すぎることが一連の事案の根本原因にあると考えられる。大学に比べるとはるかにオープンシステムを標榜できている予備校の講師の着眼と発想の方がよっぽど健全なのかもしれない。

 限られた定員を選ぶ側と限りない門戸に大勢の受験生を送り込む側とでは、そこに働く心理的メカニズムも全く異なるものとなる。自分自身を外界に対していかにオープンな状態を維持することができるか。そのことが人生の開閉度を左右すると痛感させられた。