北村 禎宏
生産性向上に立ちはだかる人間の性
昨年あたりから生産性の飛躍的向上を目指す動きが活発だ。目前の直球ではロジカルシンキングの業務標準化、ど真ん中の打ちごろとしては会議の生産性向上、少し変化球では問題解決スキルのアップなどの動きが急激に増加した。
アパレルを中心とした繊維産業が経済の暗黒大陸だと通産省から渇を入れられたのはおよそ四半世紀前のこと。失われた20年から脱却する糸口を未だ見つけることができていないわが国の経営において、知的労働生産性はまさに暗黒大陸のまっただ中のブラックビルディングだ。手や体の動きは目で見てとることができる。ラインの産出物のアウトプットも容易に測ることができる。
その一方で私たちの脳内の動きは、今のところ直接モニタリングする術がない。また、知的産出物の費用対効果も厳密に測定することは難しい。そして政府主導の働き方改革という圧力によって企業はようやく重い腰を上げつつある。
問題解決の議論は別の文脈も相まって、三年ほど前からアワー・ブームとなった。そこで皆が直面するのは、私たちがいかに「ハウのつまみ食い」が大好きで「ホワイの先取り」も大得意な存在であるのかという冷徹な現実だ。
一つの要因は私が「エキスパートのジレンマ」と呼ぶ永年の経験値の積み重ねに基づくナレッジの蓄積と専門性の獲得によるものだ。十中八九はそれで上手くいくが、十中一二の例外に遭遇したときに経験値による経験知はものの見事に崩れ去る。
もう一つは私たち人間が生まれながらに備えているDNAによるもので、それは“思い込み”と“思いつき”として私たちに重くのしかかっている。前者は道すがらの藪がザザッと揺れたら逃げろという反応に代表されるもので、多くの先人たちが毒蛇にしてやられた経験の積み重ねからもたらされる生き延びるための先入観であり固定観念である。たとえ百回に一回は野ウサギにありつけたとしても、まずは逃げることが種の保存には役に立って今に至っている。
後者は、認知心理学でシステム1と呼ばれる直感による即断をいう。システム2を発動するともっともエネルギーを消費する脳をフル稼働させなければならないので、体内エネルギー消費を最小化するために最初に発動するのはシステム1としてDNAはプログラムされている。私たちが食うに困らなくなったのはここ数十年のことで、現在でも日々食うに困っている人々が数十億人いるのが地球の現実だ。
対象とするタスクの生産性向上に立ちはだかっているのは、主体である人間としての生命と種の維持という性なのだ。インプットの時間を増やすことでアウトプットの質と量を担保するのではなく、インプットの時間は維持もしくは削減する一方で
知的変換作業のサイクルと精度を大幅に向上することでアウトプットを担保する必要があるということだ。
そうなると高効率知的生産装置として進化した働く人間の燃費が悪くなることは間違いない。それに見合うだけの燃料補給が金銭的、精神的両面で伴わないことには、経済的にも精神衛生的にも労働者が阻害されていることに繋がる。
これらの議論から、時間管理を社員に丸投げする裁量労働が何の的をも射ていないことは明白である。企業が国が目を向けなければならないのは、働く人々の燃費をどのように把握してどのように測定してどう評価するのかということだ。法案以前の問題である。