北村 禎宏

2018 12 Mar

昭和の忘れ物

 三丁目の夕日で映像を懐かしんでいる場合ではなく、昭和における思想の忘れ物をしてはならないと痛感する。

 山本七平の「空気の研究」は昨年11月の9回目の北村塾で取り扱ったが、その後、「現人神の創作者たち」に手を伸ばしてでボディブローを連打された。小林秀雄の流儀でチンを打ちのめされ、その勢いで吉本隆明にチャレンジして見事にノックダウンさせられた。

 次なる元号が気になる報道がちらほら見受けられる昨今であるが、昭和の60有余年で先人たちが経験したジェットコースターに比べると平成の30年など、ICTは飛躍的に進化したものの、文化もビジネスモデルも人々の精神も何ら変化なくむしろ停滞(退化)した単色のおもしろみの少ないジェネレーションに過ぎなかったということになろう。

 明治維新から150年になるが、その三分の一以上を占める昭和の連結なくして今を認識することはできないし、未来について思惟することもままならない。また、文字として残されているわが国の歴史をおよそ1500年とするならば、その10倍程度の蓄積しか直接的記述の知識としては持ち合わせていない。1500年を概観するとともに、150年を省察しなければ今を正しく理解することはできない。

 学部生時代、法学部だった私は東洋政治思想史で丸山真男の「戦中と戦後の間」に触れる機会があったにもかかわらず、やらされ感満載で単位を取るための手段としてしか位置づけることができていなかった。もっと知らなければならない昭和の世界と思想は山ほどある。

 働き方改革は企業に大きな課題とプレッシャーを突きつけているが、その一方で働く側の意識改革も必要であることが痛感される。昨今の若い人々の就職感だ。
パートやバイトならば百歩譲ることもできようが、フルタイムの正規雇用に際しても、面接のドタキャンや採用通知後の蒸発があとを絶たないと複数のクライアントの嘆き節を聞かされて開いた口が塞がらない。

 オープン初日に一日店頭に立ってみて懲りたのか、何の連絡のないまま二日目には現れない。しかも二人とも…。こちらから連絡しても絶対に電話やメールにはレスしないそうだ。家人に伝えることも可能な家庭の固定電話は履歴書の記載事項のMUSTではなくなっていることも影響しているのだろう。そもそもの母集団に偏りや問題があることも考えられるが、大きな時代と世代の傾向ととらえることもできよう。

 平成になって私たちは昭和時代の大切なものをすっかり忘れてしまったようだ。「他人に迷惑をかけない」「約束は守る」「社会や世間に恥じることをしない」etc.
親や近所の大人たちから口を酸っぱくして教えられたことが継承できていない。われわれ昭和人としては大きな責任問題だ。

 昭和の偉人たちを本気で概観して省察するには数百時間のリソースの投入が必要と思われるが、移動時間を活用した読書だけではとうてい追いつくことは期待できない。かといって、今の生活リズムで自宅におけるまとまった勉強時間を確保することも至難の業だ。そろそろどのように現役生活をフェードアウトしていって、自分が生きてきた世界と時代を自分なりでいいので理解して納得して他界に旅立つ、そのような終活を遂げるために、ぼちぼちギアチェンジが必要になりつつあると心する次第である。