北村 禎宏

2020 19 Mar

言うはやすし行うは…

 「アスリート1st」とは、いろんな場面で多くの関係者が口にしたワードではある。ここにきて、本当のアスリート1stって何なんだろうということが問われている。

 4か月前に抜本的な決定をする段階にはないとの公式コメントからは開催者側の論理しか感じられない。ついにはアスリート側から反旗のつぶやきもなされ始めた。予定通り開催できる確率はゼロではないが、そうではない確率も決して小さくはないことは誰の目にも明らかだ。

 完全な形での開催というワードも発信されたが、聖火リレーや各競技での予選など、すでに完全な形は完全に崩れ去っている。開催されないことなどまったく眼中に置かずマインドをキープして準備に集中できている選手も少なくはないとは思う。その一方で、参加できるかどうかも現時点でままならず、思い通りの準備ができる環境にもなくストレスを抱えている選手も多いことと想像される。

 何よりも国や地域によって状況が異なるとともに、それは時々刻々と変化している。しかも予測と見通しが極めて困難な変化である。早い段階で英断を下して、五輪どころではなく経済をはじめとする社会システム全般の一刻も早い回復に世界中が協力して邁進していくべきではなかろうか。

 もうひとつ観戦する人々1stで考えると、これから4か月後に心のそこから祭典の観戦を楽しむことができる人々が世界にどれくらいいるだろうかということだ。職を失い、収入が滞り、人生の再建に取り組み始めた最中のイベントが人々に勇気と元気を与えることに作用するのか、何の価値ももたらさないのか、はたまた怒りや嫉みを喚起しかねない毒になるのか。

 参加することに意義があることを謳っている以上、一部の恵まれた人々が楽しむのではなく、もっとも苦しんでいる普通の人々も心底楽しめて、力いっぱい応援して爽やかな瞬間と後味を享受できること、これこそがオリンピックの精神ではないだろうか。