北村 禎宏

2020 04 Mar

休校の逆機能

 マックス・ウェーバーによって詳らかにされた近代官僚制の長所は、形式的な合理性を徹底的に追及できることにある。その反面、官僚制は実質的な合理性や創造的チャレンジが損なわれてしまうリスクを内在している。

 官僚制の逆機能として論陣を張ったマートンは、次のような弊害を主張した。法律や規則などの手段が自己目的化してしまう、官僚組織や官僚が情緒的に同調したり自己保存や自己肥大に傾斜する、人間性の乏しい機械的・画一的な対応に偏るなどだ。

 そのほか、自己保身、儀礼主義、時代錯誤の年功序列と終身雇用、人事面ではマイナス評価ばかりでプラス評価がなされないなどの批判も複数の社会学者により展開されてきた。総合すると、形式vs実質、利己vs利他、堅守vs創造などの二項対立の図式が浮かび上がってくる。

 図式は二項対立ではないが、このたびの休校措置にも逆機能が発現してしまっている。暇を持て余した中高生が繁華街に繰り出しているという。しかもゲーセンやボックスとなると、感染予防に望ましいとされている空間や設備の条件とは真逆の劣悪な環境だ。校内でのリスクは放逐したが、一般社会の高いリスクに生徒たちを押しやったとしたら、まさに逆機能だ。

 ただしこれは制度上の問題というよりも、それぞれ個人のモラルによるところが大きい。彼ら彼女らに、今回の感染症に対して若い人々が果たしかねない役割と、それに対して有識者が発信しているお願い事は届いていないのだろうか。

 遊びたい盛りの年代であることと、テンションが上がる時期であることは十分理解できるが、周囲の大人たちの適切な情報提供と行動の制御が求められる。企業活動の意思決定に携わる人々もそれぞれの状況に応じて、過敏になり過ぎることなく、なおかつ楽観的過ぎない適度な難しいかじ取りが求められている。