北村 禎宏
2019
29
Jan
日本語は厳密に使うべし
問題解決と戦略立案の議論で毎回強調させていただくことがある。それは、日本語の定義には厳密に、言葉の選び方も慎重にということだ。
沖縄の県民投票の選択肢が増える可能性が出てきた。YesかNoかの二者択一に加えて「どちらでもない」という三つの選択肢が俎上に上った。しかしながら、県民の様々な思いをできる限り拾うことができる選択肢にはもうひとつ足りていない。
それはすなわち、「どっちゃでもいい」というオプションだ。どちらでもないでは、AでもBでもないがその他の選択肢として特定の何かであるかと問われるとそこは明言することはできないという態度表明に終わってしまう。ところが、どちらでもいいとなると、AでもBでもどちらでもかまわないという意思表明をしたことになる。
より網羅的な全体像を厳密なMECEで網をかけることは、ことほど左様に難しい。だからこそ、私たちの人材育成ビジネスは成り立っているし、今後も深みを追求し続ける価値があるわけだが、どちらでもないとはオープンアンサーであるがゆえに、どれほどのレジデンスが世間から認められ得るのか不透明だ。
政治はその分解能で前に進むのが常であるが、ビジネスではそれはあまりにも心許ない。ビジネスパーソンは日本語にセンシティブでなければ務まらない。