北村 禎宏

2019 09 Feb

構造的美しさ

 賛成or反対の選択肢に「どちらでもない」を付加すれば賛成と反対の交わりのないベン図の外側に全体集合Uを規定したことになる。その他の領域が何であって、その人が何処に立っているのかは不明のままだ。どちらでもよいとすれば、賛成or反対の全体の中で知ったことではないとか決めかねるという意思表示と受け止めることができる。

 「機械的に計算すればそうなる」と言ってしまうと、対になる概念は「人為的な改竄」と考えざるを得ない。そのことを自ら吐露した発言になりかねないことを当の本人は夢想だにしていないのだろう。

 ないものが出てくるのは政治や行政の常であるが、あるというファクトの上に、ないことにしてもばれないだろうしばれないで欲しいという自己都合の希望的観測が認識として乗っかって、最上段に「ない」という発言が乗り、ねじれた三層構造が構成されている。

 本来、頭の良い人々のはずであるが、単純な記憶の再現に長けていただけで、自ら考えて秩序を形成する地頭力は持ち合わせていないのか。はたまた、自分の考えや本当のことを言う人々が淘汰された結果なのか。

 見も知らぬ人物からのお年玉に群がる大衆にもうんざりであるが、急激に増大するエントロピーに抗うことはできるだろうか。孤立系から脱却して開放系になるしかないが、絶大な権力をもった人々の周囲は孤立系として閉じていて秩序を取り戻すことは極めて難しい。

 これは本人もさることながら、取り巻きの人々に孤立系を強いた重大な責任がある。自動車会社の元トップしかり、ファッションECのトップ、筋肉系やこの国のトップと枚挙にいとまがない。世も末、平成も末。5月にはどんな新しい年になれるのだろうか。