上野 君子

2019 17 Jun

山のようにあるアクセサリー

海と山のある郊外(というより田舎)に移住して、この夏でまる9年、10年目に突入しようとしている。

普段の服装も都心にいた頃とはだいぶ変わった。坂道が多いのでスカートはほとんどはかなくなったし、特にくるぶしに届きそうに長い丈のものは、脚にまつわりついたり裾を踏みそうになったりして危ないので、クローゼットの中でずっと眠っている。

こういってはなんだけど、郊外生活者や低賃金の非正規雇用労働者にとっては、合理的なユニクロの服で十分といえば十分なのである。

 

一番違うのは、アクセサリーをあまりつけなくなったことだ。

いつもはゴールドのシンプルなピアス位で、大好きな指輪類やネックレスをするのも、都心に仕事をしにいく時や、友人と外食をする時くらい。

近所に買い物とかヨガをしにいく時は、時計以外はまったくつけない(化粧をまったくしない時期もあったが、それはさすがにまずいと思って、最近は身だしなみを整えてから家を出る)。

 

ピアス、指輪、ブレスレット、ネックレス等など、アクセサリーは元来大好きなので、山のように持っている。

しかも昔からおおぶりのものが好きだったので、かなりかさばる。

祖母の形見であるバスケット(大正時代か昭和初期)をはじめ、いろいろな空き箱をつかって、種類別に収納しているのだが、これらを開けることもあまりなくなった。

これ以外に、キャビネットの中やテーブルの上にもたくさん飾ってある。

 

終活意識は常にあるので、そろそろ整理して減らしておこうかと、箱類をあけてみたのだが、出てくる、出てくる。

高価な宝石があるわけではないが、単なる安物でもない。その時々に好きなデザインや素材がいろいろ。我ながら、この30数年でよく集めたものだ。それぞれにいとおしい。

重量のあるもの、パーツが壊れたもの、実際にはちょっと使いにくいものなど、たぶんこれから身につけることもないだろうと思われるものも少なくない。

器用でセンスのある人なら、こういったアクセサリーのパーツを二次利用して活用することもできるだろうが、そういうアイデアもない。

結局何も処分できずに、また元通りしまってしまった。好きな人がいたらおゆずりしたいが、なかなかそういう出会いをつくるのは難しい。

自分以外の人、興味のない人にとっては、単なる古いもの。それは服類も同じ。こんなにあっても、新しいものがまた欲しくなる(以前よりは欲が減ったとはいえ)。ファッションとはそういうものだなと感慨深いのである。まさに人生そのもの。最後には無に帰るとはわかっていても。