上野 君子

2022 22 Apr

花爛漫の季節に思い出す

新入学の季節だからか、自分が小学生だった時の先生のことを思い出した。
もう半世紀以上前の、昭和30年代から40年代のことなのに、なぜかはっきり顔を覚えている。

特に、最初の小学1年生と、最後の小学6年生は、共に担任の先生が女性で(タイプはかなり違っていたが)病気で早くに亡くなったので、それも含めて印象深い。小学校の先生というのは肉体的にも大変な仕事であると思ったものだ。
小学1年生の時の担任は、大島先生。きちんとした真面目な女性の先生で、そのスーツ姿や髪型、笑顔がモノクロ写真のように頭に残っている。私は麻疹で入学式に出られなかったので、クラスの皆より遅れて学校に行った私に気を使ってくれたような記憶がある。この先生が亡くなったのは確か、私が小学校にいる間だった。
小学2年生の時の先生は、男性の日並先生。同居していた祖父と同学(広島大学)だった縁で、祖父のお葬式にもかけつけてくれて、出棺の際に頭を下げていたのが印象的だ。昔の小学校は、今はあるのか、「家庭訪問」といって担任の先生がクラス全員の家を訪ねるという習慣があったので、家族との交流も深かった。
そして、5年と6年の先生は、野田先生(後に小学校の同僚の先生と結婚して、神谷先生)は大柄で明るく、豪傑かつ優しい先生だった。あれは学生時代だったかもう仕事をしていたのか、同じクラスだった人たち10人位と連れ立ってお葬式に行った。この先生は最近になって、なぜか夢にも登場した。
こんな昔のことが夢に出てくるなんて、私も先が短いのかしら。

いや学校の先生だけではなく、近くの商店街の人々のことだって覚えている。
パン屋さん(確か名前は「田川パン」でチョココロネやクリームパンやその他お菓子を売っていた)のちょっと怖い顔をした小柄なおばあさん、「正直堂」という名の文房具屋さんのおじさんの顔。その数件隣にあった酒屋さんやお豆腐屋さんは、子供たちが幼稚園や小学校で同級だったから、特にそれぞれお母さんの顔をよく覚えている。
ここは今や有名になった武蔵小杉駅から歩いて10分足らず。数年前に改めて見に行ったが、桜並木の近くののんびりとした感じはあまり変わっていなくても、それらの商店は一つも残っていなかった。

母はこの地で知り合った、私の幼稚園時代からのママ友とのつきあいが亡くなるまで続いていたが、私は中学生以降、東京の学校に行ってしまったので、ふるさとの友達は誰もいない。それでも顔というものはいつまでも覚えているものである。