上野 君子

2022 09 May

「聞き役」もいいけれど

私は若い時からどちらかというと「聞き役」だった。
自分で率先して自分のことを話すというより、人の話を聞くのが好きであった。
人とのコミュニケーションにおいて、聞くことがいかに大事であることは、既に多くの本でも述べられている。

ところが年を重ねるにつれて、ふと気がつくと、私は完全なる「聞き役」になってしまっていることに愕然とする。
周りは年下ばかり。20代から50代まで年代は幅広いが、年下の人たちはとにかく自分の話を聞いてほしいという願望が強い。年上は話を聞く役割だと思っているようだ。
いや、年長者であっても、一方的に話し続けている人がいる。
ある時に相談したいことがあって電話で話していると、あなたはもう2分近くしゃべり続けていると言われたこともある。
私はおそらく、そういう人にとっつかまってしまうタイプなのかもしれない。

でも、本当は、たまには私のことも聞いてほしい。
ところが、会話の中に疑問文さえない人も少なくないのである。
そういう人はたぶん、他人には興味がないのだろう。
まさに口をはさむ余地もない。
そういえば、最近、仕事でも取材依頼がない。私は普段は取材する側だが、取材されるシーンも以前はけっこうあった。
何だか完全に時代から見捨てられているような気がする。

そういえば、私の母もよく人の話をよく聞いていた。
家には娘である私より年若い友人たちがよく遊びに来ては、母にいろいろな話を聞いてもらっていた。
それはそれで、母はうれしそうだったけど、きっと自分のことも話したかったに違いない。
ついに娘にも話をせずに、あの世に逝ってしまった。

そんなことを切なく思う昨日は、「母の日」であった。