上野 君子

2022 11 Feb

苦しい時こそ新しい挑戦

算命学的にいうと今年はいい年らしいが、年明けからなんとも悶々とした日が続いている。
久々に計画していた海外取材の断念は昨年末から十分に予想されたことだから別にしても、集中して書きものをしようと勇んで出かけた温泉宿でインターネットやPCが全く使えない事態になったり、筋トレ再開のために申し込んだ某スポーツクラブチェーンが自分のスタイルには合わなくて結局は契約解除を決めたり、コミュニティに貢献しようと出かけた集まりがおそろしいクオリティのレベルであったりと、ろくなことがない。本業はいろいろ手を打っているつもりだが何をやってもうまくいかず、いよいよ開店休業となってきた現状では、某人気ブロガーを見習って月15万円でどう生活するかというダウンサイジングを進める方が先決なのかもしれない。

あれこれもがきながら行動している中で、一つ、収獲といっていいのは、心理カウンセラー養成の講習会だ。以前から興味がありながら、履修するには高額であることからあきらめていた分野だったが、手頃な価格で受講でき、しかも地元で開催されるものを見つけて、応募したのであった。

まだ初級段階なので基本的なことが中心だが、講師の話には多くの気づき(この言い方はあまり好きではないが)があって、私自身のこともいろいろと考えさせられた。あれこれ悩んでいる昨今の私は、つまり学習不足なのである、と。
社会的価値観に基づく「人格」は、もって生まれた「性格」と違って、作り変えることが可能であり、社会やその時代に合わせて新しいものに作りかえなければならない。古いものに愛着がありすぎるから、悩みが多くなる――まさに私のことではないか。
さらに、大事なのは自分のやりたいことをお金にどう替えるかということであって、それも時代の変化に合わせていく必要があるというわけだ。
また、自由とは選択肢が多いこと、カウンセリングとは話を聞くことではなく、相手の態度や言動を見る(観る)ことだとも話していた。私はたまたま最近、人を観察する仕事をしていることもあって、これはつながっていると痛感したのである。

ろくなことがない、ついていないといっても、けっこう美味しいものをいただいているし、映画も観ている。
自分はあと30年弱の余生でいったい何をしたいのかについてはまだ答えが出ないが、今は日々、健康で生きていることに感謝して、明日もがんばりたい。