上野 君子

2020 08 Feb

痛みに耐えるということ

出張の疲れか、その後の根詰めた仕事のせいか(たぶんその両方で)、突然、坐骨神経痛になってしまった。

最初にかけこんだ鍼灸院の先生も、次にすがった整形外科の先生も、「坐骨神経痛」という言い方をしなかったので、たぶん一般呼称なのだと思う。

症状をネットで検索して出てきた病名だったから、それを使っているだけのことだ。

 

今までも腰痛の経験もあったが、今回はとにかく今までで経験したことのないような痛みだった。

神経痛というのはこういう痛みなのか。

腰から太もも、ふくらはぎまで、両方の脚裏の広範囲がじんじん、つっぱるような痛さで、前かがみの姿勢、横に寝ている時が特につらい。前日までヨガをやっていたなんでウソのようだ。

 

昨夜はあまりの痛みに一睡もできなかった。仰向け、横向き、うつ伏せ、どんな体勢で体の角度を少し変えてみても、膝下に入れているクッションの場所を変えてみても、とにかく痛いのだ。わずか楽になる微妙な角度があって、うつらうつらしても、すぐに痛みで目が覚めてしまう。

 

一昨日は、起きている時や歩いているには痛みを忘れていたが、今日は痛みがひどくなっていたので、不安になって整形外科に行き(今日は土曜日だから、今日の午前中を逃してはいけない!)、腰への注射と、何種類かの薬を処方してもらった。

半日経って、ウソのように痛みがおさまっている。

あの痛みは何だったのだろう。いや、これは薬で痛みがおさまっているだけで、根本的に治癒しているわけではない。それでも西洋医学の薬はありがたい。

 

痛みに耐えて、病気と闘っている人のことを思うと、本当に健康はありがたいと思った。

想いだすのは、癌でなくなった母のこと。最期はさぞかし痛かっただろう、一日一日つらかっただろう。私は何もしてあげられなかったなと涙が出た。

 

それにしても、寄る年波には勝てない。取材から帰って2週間、クリニックやボディケアに既に何万円もかかっている(保険のきく病院だって、1回行けば薬代混みで5000円近くかかる)。収入とのバランスがまったく見合わっていない。心身のストレスが減ることはない私である。