上野 君子

2021 23 May

ファッションとは“願望”

ファッションとは、その人のその時の“願望”のあらわれだとつくづく思う。“夢”という言い方の方がよくされるかもしれない。
というのも、コロナ禍において外出の機会がめっきり減ったのに、私はネットでちょこちょこ服を買っている。
この1年ほどの間に買ったものを見直してみると、私の場合、ほとんどが外出着。しかも、その多くにまだ袖を通していない。つまり、必要だから買っているというより、これはいつか着る、買っておいた方がいいと自分を正当化しながら買っている。いつかこれを着たいという願望なのである。

買い物は楽しい。本当は実際のリアル店舗の方が楽しいに決まっているが、ネットでも十分に楽しめる。買い物欲を満たしてくれる。
家で暇を持て余すと、ストレス解消も兼ねてつい見てしまうサイトがいくつかあるのがよくない。
節約をしなくてはならないことが分かっているのに、欲しいものに出会うとつい欲しくなる。これを手に入れたら楽しいだろう、いつどのように組み合わせて着ようかとあれこれ考えている時が楽しいのだ。ある意味では、その商品が届いた時にはどこか覚めている自分がいる。
先日、テレビの街頭インタビューで、コロナ禍の中でものを買わなくなったという男性がいた。よく我慢ができるな、私も見習わなきゃと感心する一方、この人は何を楽しみに生きているのだろうとどこかで思う自分がいた。

長年、ファッションビジネスにかかわってきただけに、欲しいものに出会う機会も多かったわけだから、買い物はもう宿命的。ブランドフリークでもマニアでもないし、特別に高価なものを買うわけではなくても、ある種の買い物依存症になっているのかもしれない。
そうして山のようにたまった愛すべき服や雑貨類をどう有効利用していこうかとあれこれ考えている。捨ててしまうのだけはイヤだ。この辺りに新しいビジネスチャンスのヒントがあるのではないだろうか。