上野 君子

2021 08 Nov

「緊張」しない境地

アルバイト先に、芸大大学院に在籍しているピアニストがいるのだが、その人と話していてハッとすることがあった。
舞台に出て演奏する時に、緊張することはないというのだ。
他の人との合奏や伴奏の場合は、相手に気を遣うから緊張するが、独奏の場合は緊張しない。つまり練習に練習を重ねて、完全に自分のものにするから、緊張の域を超えているというわけだ。何かが降りてくるのだろう。
それを聞いて、すごいなあと感心した。
私はこれまで生きてきて、それほど何かを一途に練習したという経験がない。
どちらかというと練習は嫌い(練習は勉強と同義語であろう)。
いまだに、幼少の頃にいやいや習っていたヴァイオリンの記憶が残っているのか、発表会で舞台に立っているのに何を弾いていいか分からないという悪夢を見る。

また、先日、東京国際映画祭で来日しているフランス女優のイザベル・ユペールが、「ドライブマイカー」の濱口竜介監督と対談しているのをYouTubeで観たのだが、その中でも似たようなやりとりがあった。
カメラの前で役者は不安になるのではないか(この「不安」は、「緊張」や「ナーバス」にも置き換えられるだろう)と問いかける監督に対し、彼女は「怖いと感じることはない」と答えたのだ。その背景には「信頼」があり、自分を捨て去るということもあるわけだが。
自分を捨て去って信頼できるものにゆだねたときに(映画人にとってはカメラか。音楽家であれば作曲家かもしれない)、ある意味ではそれが自分のものにしたといえるのではないだろうか。

子どもの頃から人前に出たり話したりすると極端に緊張し、いまだに緊張や不安から解放されない私にとって、芸術家たちの心境は大いなる刺激であった。