久保 雅裕
「それもまたよし」一代限りの花を咲かそうよ
写真はイメージです(フリー素材ぱくたそ)
1980年前後に一世を風靡した専門店とアパレルの一群「ニューサーティー」がある。団塊世代が社会に出て数年後、アパレル卸や専門店を経験して、独立し始める。ベビーブーマーだから数も多いし、社会へのインパクトも大きいこの世代。それなりの塊となって台頭し始める訳だ。それまでの専門店とブランドを否定し、私たちの世代が着る服を作る、売ると対象となるジェネレーションもはっきりとした戦略を取っていくことになる。完全買取、値引き返品無しの好条件でも、作れば売れる、出せば売れるの時代背景にドライブを掛けられ、グングンと伸びていった。
そんな彼らも既にリタイアする世代となって、2代目つまり団塊ジュニアへと継承させた店も数多くあるようだ。そう、店主と共に客も齢を重ね、同じようにファッションを楽しむライフスタイルから卒業したが、それまでの間に2世が店を預かり、若い客や同世代を取り込み、見事に世代交代を成し遂げた店もあるのだ。
一方で跡取りもなく、一代限りで店を閉じたところも少なくない。地方都市で、素晴らしい品揃えと粋なオーナーバイヤーに支えられて隆盛を誇っていた店でさえ、寄る歳波には勝てず廃業していく。
しかし、「それもまたよし」と思うのである。松下幸之助が「鳴かぬなら、それもまたよし、ホトトギス」と言ったそうだが、「自然なまま=多様な選択肢があっても良いのでは」という趣旨だったらしい。筆者もそう思う。オーナーバイヤーが癖のある品揃えをし、属人的な接客でファンを掴んできた店の真似は誰にもできない。客という話し相手も居なくなるのであれば、自身も引き際だろうと思うのも無理はないし、自然なことだろう。「それもまたよし」なのである。そして、また若いオーナー達によって、自身のジェネレーションを引っ張って活躍する店が出てきて、業界は新陳代謝していく。
そう考えると、会社組織になっているところでは、経営陣の引き際が最も大切になってくるのではと、はたと気づいた。「引き際」=「往生際」が悪いのは最悪で、「老害」が続くことになる。
一代限りで、スパッと辞めてしまう潔さに敬意を感じる今日この頃である。