久保 雅裕
バランスを欠くリーシングに唖然
記事と写真は無関係です(フリー素材ぱくたそより)
先日、とある準郊外のSCを訪れた。駅近辺の再開発が進み、多くのタワーマンションが周辺にできた街だ。価格はファミリータイプで軽く5000万円を超える物件ばかりで、安くて下町っぽい商店街がそれなりに人気だったエリアが、いきなりプチセレブな街へと変貌した。同時期に開業した商業施設だから、随分経つのだが、一度も行ったことがなかったので気にはなっていた。1階には大手セレクトショップのメイン業態が軒を連ねており、その店内は準郊外の比較的余裕のあるファミリーをターゲットにした感度の品揃えで構成されていた。しかし、上階に行くにつれ様子が違ってきた。主たる販路が量販店のベビー子供服の大型店舗がいくつも入っている。1階のセレクトショップと上階の量販系大型店をサンドイッチするかのようにファストファッションブランドのグローバルSPAも出店していた。
プライスバランスを欠いている。どうにもこうにもリーシングの不可解さを禁じ得なかったのは私だけではないだろう。
話は変わるが、つい最近、 友人のデザイナーからある本を拝借した。主要なテーマは「アートとサイエンスの相克をどう経営に反映させるか」といったところを解説している本だ。従来の企業経営は「計測可能なデータばかりに依拠して意志決定されてきた。つまり それがサイエンスだ。だが、今日のように成熟化し、複雑化した社会においては、計測不可能なシロクロ付けがたい判断を直感的にジャッジする美意識が必要となる。これがアートだ。現在、世界中の大手企業の経営幹部や幹部候補、すなわち世界のエリート達がこぞってアート系(美術系)のスクールに日参しているらしい。美意識を鍛えないと今後の経営はおぼつかないというのだ。
翻って、かの商業施役。数字が取れるという計測可能なサイエンス的根拠のもと、リーシングが行われたのだろう。そこには何の魅力もワクワク感も無い。いやむしろチグハグさばかりを感じ、居心地の悪さすら感じる館でしかなかった。美意識を培ったアート的判断が欠けていると思ったのは言うまでもない。つまり「この館に未来は無い。このままでは」と。