久保 雅裕

2018 06 Nov

世界のありのままを伝えてくれる東京国際映画祭

アンバサダーは、タレントの松岡 茉優

第31回東京国際映画祭が2018年10月25日~11月3日、六本木ヒルズを主会場に開かれた。映画は、私たちが普段見ることのできない世界を映し出してくれ、その脳裏にリアリティーを焼き付けてくれる格好の素材だ。いつもその視点を忘れずに鑑賞するのだが、今回は特に気になったイスラエル・アラブ絡みとメキシコの作品をチョイスしてみた。イスラエルと言えば、米国が大使館をエルサレムに移転し、物議を醸したことで今年も話題となったが、ユダヤ教についての知識があまりにも乏し過ぎて、驚かされることが昨今多いのだ。仕事上で付き合いのあるユダヤ人は、特定のお祭りの土曜日には一切仕事はしないし、ニューヨークのある地区に行くとはっきりとしたユダヤ人ばかりが客として訪れる店があり、結構繁盛している。彼らの結束に驚かされるのだ。もちろん民族として苦労してきた歴史があるが故にそうさせるのだろうとも理解できる。

さて、それに対して常に対置して考えねばならないのが、パレスチナとイスラム世界の事情だ。この二つの視座をベースにしながら次の作品を紹介したい。

まずはイスラエル映画の『靴ひも』。別居していた母親が急死し、発達障害の息子を施設に入れるまでの間、一時預かることになった整備工場を営む老父。40歳近い息子との軋轢や周囲の人々の温かいサポートで次第に親子の絆を取り戻していくというハートウォーミングなストーリーだが、そこにはイスラエル社会にも厳然と存在する格差社会の実態も織り込み、市井の人々の日常が描かれている。

もう一つは『テルアビブ・オン・ファイア』でエルサレムが舞台だが、制作がルクセンブルク/フランス/イスラエル/ベルギーの合作にも拘らず、主人公はパレスチナ人の人気メロドラマ制作インターン。タイトルと同名のメロドラマのストーリーもアラブ寄りで、イスラエル兵が傲慢に描かれているのも少し不思議に感じた。エルサレムの検問所の主任兵士が主人公の通行と引き換えにドラマのストーリーにちょっかいを出して変えさせようとするところから、ストーリーが歪んでいくのを笑いに包みながら見せてくれる。ラストシーンは爆笑だ。

一番ヨーロッパに近いアラブ世界といえば、トルコのイスタンブールだ。この喧騒の街を脱出したいと試みる元エリートビジネスマンの脱出できない苦闘を描いたのが『シレンズ・コール』。トルコ南部でオーガニック農園を営む魅力的な女性の元へと向かい、忙しく非人間的な日々のハードワークから逃れようと試みるのだが、ここでも格差社会の壁が彼を追い詰める。助けてもらえそうな輩は、実は今まで自分が建設ラッシュを推し進めたが故に苦しめてきた人々だったと。ここでも幻想と現実のギャップが寓話的に盛り込まれている。

『ブラ物語』は大人のファンタジー。ドイツ/アゼルバイジャンの制作で、アゼルバイジャンの都市と農村(一部ジョージア)が映し出される。定年を迎える鉄道の運転士が物干しロープから列車に引っ掛かったブラジャーの持ち主を探して訪ね歩くという話なのだが、全編セリフ無しという実に面白い手法で観客を引き込ませていく。アゼルバイジャンの首都、バクーでは急速な再開発が進んでおり、「政府が風情のある街並みを撮らせたくなかったんだ」(監督)と警察に何度も撮影を止められたことを明かした。そんな貴重なバクーの庶民の暮らしの記録も垣間見えるのが有り難い。

トランプ政権になって対立が激しくなっているメキシコの映画『ヒストリー・レッスン』は、転校してきた少女にかき回されつつも、徐々に彼女との距離を縮め、友達のような関係に陥る女性教師の物語。普通に考えると「教師が荒れた少女の心を矯正させるのか」と思いそうだが、実は逆で、教師も悩みを抱えた人間の一人だったというのが本質で、小津映画が大好きだと語る監督の作品。メキシコの今の日常と自然も堪能できる。

ということで、ほんの一部ではあるが、世界のありのままを堪能できる東京国際映画祭は、なんとも有り難い機会だとまた改めて思い直したのである。