大城戸織布
2021
11
Jan
きおち
物質文化的なデバイス
うちで言うところのハタヤー・デバイスは
例年に関係なくその都度に更新させていく
一方の
精神文化的なデバイス
当年の願掛け(験担ぎ)は
例年通り返納して、新たに笑入する
元日の伏見稲荷に次いで
「えべっさん」の十日は地元の船町蛭子へGoですが
今年はアレの影響で神事のみとなり
吉兆や笑福(笹飾り)の販売は中止となった
ならば・・・
本店?しかないかと西宮恵比寿に足(車)を向ける
画像内中央の山(甲山)に学生の頃の
辛いランニングコースを思い出しながら
途中、曲がる道を一本間違え、とんでもない渋滞に嵌り
30~40分のロス後到着
通行規制でコチラは出口
懐かしい~
リーマン時代に参拝して以来である
何やら何時もと様子が違う
本店と支店の様相ではなくモノが!?
商売繁盛でプラ持って来い~っ?
笹はどうした?
イミテーションでは、意味ねぇ~っしょ!
何時も(船町蛭子)なら葉落ちしない自然笹なのに
祈祷してあるので問題は、ないとは思うが・・・
利益や効率を上げるための量販戦術なのか?
相当数の笹が手に入らなくなってきているのか?
いずれにせよ少々気落ちした感は否めない
正直なところ・・・
どの業界も量に対する質の低下は避けられなくなってきてるのか
時流に則って
変わっていく良さ
変わらない良さ
そこのバランスを考えさせられた参拝であった。