繊維ニュース 編集部ブログ

2020 02 Mar

淀屋

 

江戸時代大坂で繁栄を極めた豪商総資産は約20億両 (現在の貨幣価値で約200兆円) 。全国の米相場の基準となる米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都発展へ大きく貢献した。初代常安(じょうあん)は、秀吉が伏見在城のとき淀川の築堤工事を請負って財を成した。

その後大坂の陣では徳川方につき、大坂三郷の惣年寄にも任ぜられ、中之島の開拓にも力を尽くした。2代个庵(こあん)の時、靭(うつぼ)に海産物市場を開き、青物市、雑喉場市を一手に握った。1632に生糸の糸割符の加入が認められ海外貿易を始める。

西国諸藩の蔵米を取り扱い淀屋の米市を開き、金融業や廻漕業を営むなど経営の多角化を図った。淀屋は自身が開いた中之島に米市を開き、また中之島に渡るため淀屋橋を自費で土佐堀川へ架けた。

2代で巨万の富を築き淀屋の屋敷は現淀屋橋付近から北浜にかけて1万坪(約3万3千平方㍍)の広さで、内装も当時珍重したガラスを多用し豪華を極めた。

5代目辰五郎の時、宝永2年(1705)驕奢(きょうしゃ)な生活は町人身分を越えるものとされ訴訟のもつれでとがめも受けた。大きくなりすぎた故に全財産没収、栄華を極めた淀屋は没落した。

米国のマンハッタンよりも早い時代に大坂の中之島に世界に誇るビジネスセンターをつくり上げたことは日本、大坂の優位性である。(参考資料:大阪市HP)(博)