船橋 芳信

2019 30 Aug

第一回SPクラブ開催

SPレコードの会をサルトリア・イプシロンで開催した。
オペラに興味を持って、劇場通いを始めて、40年近くになる。
初めて見たオペラは、Giuseppe Verdiの「運命の力」である。
1980年、7月、ローマの弟を訪ね、彼を日本に連れ戻すと親を説得しての来伊だった。
来て見て識るローマは、多くのことを私に語りかけてきた。
 それまでの蓋を被させられ押さえつけられてることにさへも、気付かず暮らしていた日本での
抑圧された精神は、あのベネツィア広場の空一杯に広がる空間の下に立たされた時に、
其の抑えを一気に、吹き飛び散らされ、唯唯、自由さを胸一杯に感じたことを
昨日の出来事のように思い出す。
ローマは、限りない高く深い群青の空の拡がりが、街を覆っていた。
マロニエの巨木の並木がテベーレ河沿いに、暑い日差しから、木陰を護り、涼風が吹き抜け、
アイスクリーム、氷菓子、西瓜を頬張り、美術館廻り、教会巡り、マーケットと、すっかり我を忘れて、
イタリアに呑み込まれれていった。
ローマ、オペラ座で観劇した「運命の力」は正に運命の力に左右されて行くイタリアでの生活を暗示していた。
 
 そうしてオペラと仲良くなった私は、其の興味が、劇場通いと平行して、昔の歌手との対話を、
手巻き蓄音機とSPレコードとで始めた。
 偶然知り合った、Tito Schipa Jrから、彼の父君、Tito SchipaのSPレコード鑑賞を勧められたことが、
切っ掛けとなった。
  Tito Schipaは、1920年代、アメリカでワンステージ、2万ドルを稼いでいた大テナーである。
 
そして8月26日は第一回SPクラブを、日本橋のSARTORIA YPSILONで開催した。
 テーマとして、古いレコードの中に、其の時代に存在した価値と、我々の生きる現代との間に、
どんな差異があるのか。
未だ、電気が無い時代である。不便さの中で、創意工夫をして音を録音する。
又録音された音が、便利になったデジタル化されたCDの音に比べ、
驚く程、ナチュラルで、素晴らしく聴く人を魅了する。
そして、歌唱芸術として今の歌手達の声とどんなテクニックの違いがあるのか、
等と色んなテーマが時間を逆行して行くと、思わぬことに気づいて行く。
 
 1800年代に起こった産業革命が、人間の人間としての生活、時間を奪って行くだろうと予見した、
ヘーゲルをはじめ、1800年代の哲学者達は、現代の問題をあの時代に察知していたのです。
道具から機械へと移って行き、今では、AI,コンピューターが人間を凌駕する時代に、
入ったと言われています。
 蓄音機に関して言えば、CDに比べ不便極まりないものであっても、その音の質は、CDの音と
比べようも無く、素晴らしい。音響の歴史は、便利さの追求であり、質の追求ではなかった。
音響の歴史から読み取る、人間の時間の経過は、便利さ、便利さの追求の歴史だと言えます。
いかに他から選りすぐれた便利さを提供出来るかが、人生の糧となって返ってくるからです。
唯其の糧は、人間の本来の本質的な生き方とは、少しズレてる様にSPレコードは悟らしてくれます。
 
 ベルディ作曲、オテロ、初演を歌ったテナー、Francesco Tamagno, 1903年録音オテロの死、
先ずは、ドイツ人、ガイスバーグが、1903年にミラノで録音したSPレコード,大変貴重な1枚です。
嫉妬に狂い、無実の妻、デスデモナを殺した後、無実だった事に気づき、其の愚かさを嘆き、
デスデモナの死を悲しみ、自ら死んで行く最後のアリアは、ナチュラルで、情感に溢れ、
哀れなオテロと、共感させられてしまう迫力は素晴らしい。
 第一回、SPクラブは、第2回11月開催を決めて、無事終了した。