船橋 芳信
50億円手に入ったら!
先日、仕事の合間、仕事仲間たちとよもや話に花が咲いた。もし今、50億円手に入ったら、何をする?、どう使うか?、何を手に入れるか?
旅行かな?家を先ず手に入れて、美味しいレストランに行って、美味しい物を食べて、ウーン、判らないし、実感が出ません。大金は、現実を壊すなと思った。と同時に一瞬でも50億円が入ったと考えるなら、気持ちが高揚する。想いは果てし無く広がり達成感を背景に持つと、可能性は広がる。それでは自己の能力への可能性と50億円を交換出来る人なら、可能性への追求は、果てし無く広がるだろう。今の格差社会は、この可能性交換度の高い人の世の中なのだろうか?この可能性交換度を、別の言葉で言えば、欲望、欲望度とでも言えるのだろうか?欲望は才能である。この才能は、果てし無い欲求の連続が、生み出す特異な才能であろう。自分が50億円手に入ったらと考えた時に、先ず、真っ先にオペラハウスを持ちたいと思った。劇場に20億円、オーケストラに10億円、オペラ興行に5億円、歌手、合唱に5億円、合計40億円、あっという間に消えて行った。残り10億円は公演興行収入と併せて、一体何年持続可能であろうか?多分2、3年でパンクするだろう。オペラ劇場をやる為にはおそらく、500億円の資金が必要で、50億円では無理である。形の無いもの、消えて行く物への投資は、夢が膨らむ分だけ、金額も膨らむ。形の無いもの、消えて行くものには物理的時間の枠を超えて、人の心に訴えて行く。お金は、そんな事に使いたい。果たして50億円が手に入ったら、自分は何に使うのだろうか?お金の存在に気を緩め、将来の不安感を薄めて、現実、生活への補強に、世間づれして、無感覚となって、其の生彩さを失い、無関心な日常に、何の疑問も持たず、退屈さに身を纏うのだろうか? よもや話しは、一瞬の心地良い気分に浸り、莫迦さに笑い転げて終わった。そして今日も服を縫う。