船橋 芳信
政治は経済を!

政治と経済
このところ、アメリカ大統領選挙のニュースが、チラホラ耳に入ってくる。
コロナ禍で、常識だと思っていた事が、オブラートの包まれた偽装、粉飾、
人々の勝手な思い込み、のベールが、はげ落ちて行く。
コロナは、正面から見つめ、眼前にあらわれてくる現実と向き合わしてくれているようだ。
我々は、裕福でも、平和でもなく、理想社会とはかけ離れた、虚構の世界に住んでる事を示している。
1890年代始め、日本経済はバブル期を迎え、銀行は望む人には、幾らでもお金を貸すという、所謂
金余り現象と言う神武景気に沸いていた。
日本から若い人達が、イタリアに買い付けに来ては、
「日本はお金が余っていて、銀行は幾らでも貸してくれるんですよ。」
高い製品も問題なく幾らでも買って行った時代があった。
買い付けした商品は、飛ぶように売れたという。
今この事を考えると、嘘に塗り固められた世の中の流れの要因は、何処にあるのだろうか?
此の後、世界の経済の流れは、一気にグローバリゼーションへと移行して行く。
市場経済は、急速に低賃金の場所と資金力とに比重を置き始め、価格競争の世界へと経済システムを傾かせて行く。
お金の流れは、水が高きより低きに落ちるが如くに、貧困国の労働力を求めて、工場大移動が、
国際資本力のもと、行なわれて行った。
1990年代後半、ファッション市場経済に、ファーストファッションなるグローバル資本に依るブランドが立上がってくる。
ワンシーズン使い捨てファッションは、多くの同業中堅ファッション業者を、凌駕して行った。
大量素材の購入に依る、生地価格を抑え、低賃金の東南アジア、諸国での生産、に依る製品価格の低下。
ファッション経済は、高級化とファーストファッション化に二分されて行った。
それは素材メーカーへの影響は、計り知れない。多くの生地メーカーが倒産し、ファッションメーカーが、潰れて行った。
此の結果は、今、此のファーストファッションへ、ブーメランのように問題が、返ってきている。
ファッションに求める要素を、ファーストファッションには埋められないからである。
服は誰の為に、何の為に着るのか?安いと言うだけの理由に人々が満足する訳はない。
グローバル化が叫ばれていた頃、経済、ビジネスは、政治を越えた領域に世界が入ったと感じた。
お金の流れは、国境等無いに等しいと!
ところが、ファッションビジネスが国際化して行くと同時にIT産業の躍進は、人間の生活を大きく変化させて行く。
中国企業の台頭である。此の中国企業の台頭に、中国の政治力、政治とビジネスが表裏一体となって、世界を席巻して行く。
中国の領土的野心を、あからさまに反映した、香港国家安全維持法(国安法)の施行、南沙諸島の領有化、尖閣諸島への領海侵犯、
これらの不法行為に、待ったをかけたアメリカのトランプ大統領に依る、中国企業の閉め出し、中国ITソフトの仕様禁止、等
宣戦布告とも思われる強硬な政策は、政治の国家権力のチカラを見るには充分である。
コロナ禍で、オブラートに誤魔化してきた曖昧な現実から、厳しい現実の、時間への回帰を、政治は、可能にさせる事を実感した。
政治の下、生活経済は、成り立って行く。
はて、11月のアメリカ大統領選、バイデン氏かトランプ氏か!