船橋 芳信

2018 31 May

老年夫婦のバックパッカー!

老年夫婦のアドリア海旅行

昨夜、F御夫婦と夕食をご一緒した。70代半ばを迎えたご主人と相談して、最後のバックパッカーを企画された。
それがミラノ、ヴェネツィア、ユーゴースラビア縦断、南イタリアのバス旅行だったそうだ。
途中ユーゴースラビアの都市で、足を捻挫されたご主人は軽いびっこを引き、旅の途中での連絡での悲愴な感じは、
何処へやら、元気いっぱいで疲れた様子も無く、終わった旅への郷愁に楽しんだ時間の経過を嬉々と話してくれました。
バックパーカー70代半ばの青春への旅は、様々な予期せぬ出来事と遭遇し、スマホもままならぬ環境での不便さは、
不安と危機感に苛まれながらも、クロアチアをバス、しかも乗り合いバスで縦断しRagusaから、Bari,
イタリアへフェリーで夜のアドリア海を渡り、ナポリ、ローマ、フィレンツェ、ミラノにバスで辿り着いたのだそうだ。
 ミラノでは、SIKELAIAと言うシシリー料理のレストラン、我々4名の為に、ど真ん中のテーブルを用意してくれた。
アンティパストに、握り寿司、プリモにラビオリ、セコンドにラムのステーキ、どれもが良く素材を吟味して、調理され、
味を整え、視覚的にも美しい、まるで絵画、装飾オブジェのような素晴らしい料理だった。
 シシリーのスパークリングワイン、白ワインに、赤ワイン、を伴って、会話と食事が愉しく進んだ。
 子供心に戻ったようなお二人の旅の成功は何だったのかと考えた。
ひとえに苦労された、不便な旅が、何かを成し遂げた満足感に溢れていた。便利さとは如何に無味乾燥さの生活感の中に、
人の感覚を貶めるのだろうかと思った。今ではスマホがあれば、位置の確認、情報の取得、時間の確保、
彼らにはこのスマホの持つ機能性を使用能力無し、ひたすら考え、歩き、パンフレットを読み、人に尋ね、会話をして、
礼を言い、コミュニケートして、時間の渦の中で移動して、アドリア海を囲むクロアチアから南イタリアを旅したのである。
 世間づれした無感動さ、生活感覚の生彩さの無さと無気力さ、これ等が我々を覆う天敵である。
これが車を使って、移動したなら、2週間かかった旅は、5日で済ませれただろうが、心に刻まれた記憶、
感覚には比べようの無い感動の波が、終わる事無くアドリア海のように存在する事であろう。