齊山陽子

2018 26 Oct

空気は読むべきか?読まないべきか?

日本在住のアメリカ人の友人に日本でKY(ケーワイ)の意味は”空気を読む”で合ってますか?と質問された事があった。正解は”空気を読まない”なんだが、(なんと分かりにくい造語だ!)そもそも”空気を読む/空気を読めないやつ”は海外ではどう写るのかLos Angelesで聞いてみた。


LA在住のアメリカ人のほとんどの答えは「陽子、本気で言ってる?空気なんて読めないよ」だった。「そもそも日本人はどうやって空気を読むんだ」えーと、えーと。「おもてなしや察するという日本文化があって、、、」「でもさ、それはあくまで多数派の予測でありルール上の固定概念だよね」言葉に詰まる。


「仕事なら人材を育てるということやチームワークで違うタイプの人を受け入れる。そこに具体的な理由がある訳でそれは空気を読むのとは違うし対話しないと人の本質はわからないよね」「空気を読むなんて曖昧な事をプライドにするより本質を掴むとかオーラをつける方が意味があるよ」「気を使い続けるとか気を張ってるのが当たり前の日常なんて窮屈にならないの?」


うん。だよね!そうだよね!世界一KYを自信を持って貫くアメリカ人から正論キターーーーー!


空気は読むか読まないか?

日本人はディフォルトで空気を読むが入っている。が結論、KYと言われたからといって気にしてはダメだ。いいぞデストロイヤー。君は天才かもしれないのだ。私は以前ファッションカレッジで特別講師をしていたが、古着とファストファッションをMIXし着こなす学生が授業の終わりに私の所にきて自己表現が分からない、個性についての不安を言ってくれた事を思い出していた。彼は私にそのままで素敵だと言ったら本当に嬉しそうに笑ったんだ。


慢性的に空気を読んでいるとシュミレーション能力にたけるが想定外は作れない。空気というジャッジメンタルな多数派妄想に支配され飲み込まれている場合じゃない。また空気を読んでいることを相手に理解されない、感謝されないからと言ってイラついたり落ち込んじゃだめだ。


デフォルトで空気を読む事に疲れたら空気を読むスイッチは切って良いのだ。そう、オフだオフ。疲れたら空気読むスイッチはオフ!!日本人だってパーフェクトじゃない。


「余計なお世話はヒーローの本質。」

アメリカで大人気の日本のアニメ”僕のヒーローアカデミア”。無個性だった僕が個性を与えられて最高のヒーローになるまでの物語だ。オールマイトのこの一言は空気を読んでしまう私たちに不器用だがそれで良いといっている様に思う。そして「考える前に勝手に身体が動いていた」これが今の日本人に絶対的に必要な力。動くのだ。


毎日、もしくは一生、空気を読み続ける日本人はいつだって誰かのヒーローになりたいのかもしれない。この国は大丈夫だ。ヒーローの本質がこの国にはある。(文: クリエイティブディレクター齊山陽子)