芹澤 絵美
素粒子で考える
映画「アバター」のワンシーンに、
大木と繋がり、生命エネルギーのようなものを交換している場面があります。
映画を鑑賞している時は「エネルギー」と解釈していたけれど、
いまは、あれは粒子の交換を現していたのかも、と思っています。
木と人間、別の形をした個体であるけれど、
素粒子レベルでは全て同じ、結合の形が違うだけ。
スピリチュアルな物語では、
大自然や宇宙のエネルギーを体に取り込むなどという表現を見かけますが、
あれは、互いの素粒子を交換していると思えばなんとなく納得出来ます。
実際に交換可能かどうかは分かりませんが。
最近、環境中のマイクロプラスチック問題や、
さまざまな環境汚染について考える時、私の中に渦巻くある発想があります。
地球に存在する全てのもの、水、土、空気、動植物、鉱物、
それらはどれだけ姿を変えても一定の質量を保っているということ。
真水が減っているならば、海水が増えているか、植物が増えているか、
別のものに姿を変えているだけで、地球全体の質量は変わらないのでは?ということ。
プラスチックも同じく。
石油という形態をした物質から人間が科学生成して作ったプラスチック。
今はマイクロプラスチックとなり環境中に分散している。
石油はプランクトンから出来たと考えられているけれど、
プランクトン以上に小さくなったマイクロプラスチックはいったいどうなっていくのか?
それは誰も知らないことだと思います。
プラスチックの歴史はわずか100年。
環境に与える影響はまだまだ分かっていません。
ただ私が感じるのは、
マイクロプラスチックもジャングルの木も私たち生き物も、
素粒子レベルではすべて同じであり形態を変えた存在であること。
すべては地球上、大気圏内で流通している同じ素粒子なのでは?ということです。
最近、犬の散歩で森の中を歩いているとき、
ふと頭上を見あげると、まるで太古からあるような植物たちが緑の屋根を作っていました。
その時に、あの映画「アバター」のように、
私という個を形づくっているものを解き放ち、私たちは一緒のものだ、と思った時、
なんだか少し体の奥の細胞がざわめくのを感じました。
この世界には人間にとって毒となる物質が多数あり、
ただちに健康を害するものとそうでないものが入り乱れています。
そういう歓迎できない物質も又、
素粒子レベルでは自分と同一の物なんだよなぁと思っています。
エネルギー資源が枯渇する、という話も、
素粒子の結合形態が変わっただけで、地球から何かがどんどん減っているわけではないのではないか?石炭も石油も天然ガスも使うことで別の形態に姿を変えているだけで、
地球と大気圏内にある質量はずっと一定なのではないか?と思っています。
ただし、大気圏外に物質を持ち出したり持ち込んだりしない限り。。
宇宙開発が始まって地球外に地球の資源から出来たものを持ち出しているので、
この理論でいくと、地球の粒子の質量バランスは狂い始めていると言えるかも知れません。
そんなこんなで、
やっぱり死んだら散骨がいいなと思う私です(どんな結論?!)。
土壌から遮断された壺と墓石の中で時間をかけて循環されるよりも、
灰となって環境中に放出されるほうが速く素粒子循環のサイクルに入れるからです。
物質は形態を変えてこの地球上に存在しつづける。
生まれわかり、という言葉は素粒子レベルなら容易に納得出来ます。
私の灰の一部はプラスチックや鉄、もしくは貝になるかもしれない。