山中 健

2021 03 Mar

そしてバーニーズは新宿を去った

 

 

 本日、新宿に仕事で行ったのでバーニーズニューヨーク新宿店があった場所を訪れてみました。華やかで芸術的なウィーンドーはもちろん、ストアロゴも全てなくなっており、私の中で一つの時代の終わりを感じました。

 バーニーズニューヨークがオープンした1990年10月、私は伊勢丹本店にあるブランド店長として勤務していました。当時のビッグカップル、郷ひろみ・二谷友里恵さんがモデルを務めテレビを始め様々な広告で宣伝。新宿の店は伊勢丹が設立しましたから、伊勢丹本店に務めていても、毎日朝礼などでバーニーズを紹介され、社食などでもバーニーズの人たちと一緒に食事をとったものです。

 そして足を踏み入れた時に感じたあのワクワク感は今も忘れません。私にとってモデル店の一つでした。しかし、商売的に順風満帆だったかというとそうでもなく、オープン当初は売価変更などもされていました。しかし、伊勢丹が経営したこともあり、バーニーズと伊勢丹でうまく住み分けをしていました。

 バーニーズが伊勢丹を離れてからは、伊勢丹とのバッティング問題にも苦しめられてきたと思います。そしてその後、銀座などの店もオープンし、新宿の店の立ち位置はバーニーズの中でもエッジのきいたブランド編成となっていましたが、縦に長い物件特性や新宿東口のファッション大型店撤退(丸井、ゼニア旗艦店など)により苦しそうに見えていました。

 それでも、入店すれば非日常が広がり、オープンしたてのあのムードを保ち、名店であったことは間違えありません。しかし、ビジネスパートナーの交替、立地環境の変化、米国流高級百貨店という業態ニーズの希薄さ、そして本国の破綻によるグローバルバイイングパワーの優位性の揺らぎ、インバウンドの消滅により閉店に至ったのだと思います。それによってバーニーズは新宿を去りました。日本のアッパーマーケットの変容を物語る出来事と言えます。

かつて様々な装飾で楽しめさせてくれたウィンドー

2018年4月のウィンドー