北村 禎宏

2019 30 Jun

文脈を拝察してもなお

大阪城エレベーター発言に不快な思いをしている人々が大勢いる。

 政治家や芸能人など著名人のコメントが部分的に切り取られて物議を醸す事例は少なくない。何の脈絡もない方言野郎は論外として、前後左右の文脈から切り離されたショートセンテンスには注意が必要だ。

 思いっきり同情的に拝察すると次のようになろう。サミットのホスト国のトップとして気の利いた軽快なジョークで笑いを誘うことはあってよいし、スピーカーから強く要望されたであろうことは当然考えられる。。記念撮影のバックになった大阪城をネタにする発想も大いにあるあるとしておこう。

 復元工事におけるエレベーターの設置は、元はなかった現代的設備を増強したことになるので、復元にともなう補強工事だったことになる。従って復元工事においてエレベーターが設置されたと表現すると言葉遣いとしてはミスリードになりかねないということは言える。決してエレベーターを据え付けた措置がミステイクだったわけではない。ただし、言葉がミスリードになっていても何も面白くはない。

 苦慮したライターはショートカットして、あのような表現に帰結した。そして笑いはとれなかった。わずかにマクロン氏が反応したかに見えた。世界に共通して通用するジョークもある一方で、特定の国民性や文化に依拠して初めて成り立つジョークも多い。さらに時代とともにそれらは変化していく。私も、昭和のギャグで恐縮である旨断りながら敢えて話すこともある。

 大阪という特殊な文化圏で、しかも歴史的にも文化的にもキャラが際立っている城を題材にするには力不足だったのだろう。言葉の定義と言葉遣いには厳密かつ丁寧であらねばコミュニケーションは成立しない。