北村 禎宏

2019 05 Nov

とまらない二極化

 米国において国民と政治の二極化がフルスピードで進行している。わが国に限らず消費の世界も二極化が始まって久しいが、一体何が起こって進行しつつあるのか?

 私たち個体の集合体である群れははじめは全てが同質な状態からスタートするのが常であると考えられる。狩猟採集民族時代においては、若干の男女差と大人子供差はあったものの、皆が等しく食料を採集して消費する役割を分担していたと想像される。時差や集団による格差は、保存やシェアを通じて均されていたはずだ。そこにはお金を介在させた経済という仕組みも意識も働いていない。

 定住による計画農業が始まってから同質状態は崩壊し始める。灌漑という点では皆が労働力を提供しなければ計画農業社会は維持できないという点では等しい役割分担が残存してはいるが、より大規模かつ複雑な社会行為を行うようになるにつれて二つのちぎれ現象が発生する。
ひとつは支配する者とされる者、もうひとつは専門職能の誕生と発達である。そうして出来上がった新しい社会システムにおいて生産性が向上することを前提に上下や左右の差異のつなぎ(埋め合わせ)としての中間層が生まれるメカニズムが内在しているのではないだろうか。

 中間層の穴埋めを許容するだけ成長が果たせたくなって臨界点を超えたときに起こってきたのが社会的革命なのではなかろうか。四次にわたる産業革命が停滞した生産性に不連続の変革を提供することで、生産性の向上は次なるS字カーブに転移して、繰り返し中間層は生まれては増殖し上下左右の格差をシームレスにつなぎ合わせるブリッジの役割を果たしてきた。

 わが国におけるピークは「一億総中流」と言われた70年代のことで、その時代をピークにいまや中流階級は消えてなくなりつつある。消費者の構造が二極化してしまえば、マーケットも中間に相当する価値と価格は無用となる。これが消費の二極かのひいとつめの原因だろう。

 もうひとつの原因は小売りの輪理論を応用することで理解できる。かつて革新的だった商品やサービスもやがて既存となり激しい価格競争にさらされてコモディティ化を余儀なくされる。その芋の子洗い状態から高付加価値で抜き出るイノベーターが現れて新しい市場が出現するが、やがて同じロジックに巻き取られてしまう。

 つまり完全に突き抜けて富裕層御用達にならない限り、強力な磁力をもつコモディティーに吸い取られてしまい中間マーケットは消滅していくことになる。さらに安かろう悪かろうは許されないのが現代における下辺マーケットのニーズであり価値観であると考えられる。突き抜けることができなかったバーニーズ。許されなかったフォーエバー21の退場は象徴的だ。

 米国もある種の臨界点に達しつつある。ひとつの国としてまとまるにはあまりにも広く大きく多すぎる。何よりも多様過ぎてどう収束していくのか。多数決による選挙は民主主義の優れたシステムではあるが、ほぼ同数の負け組を生み出すという点では大きな欠陥を内在している。選挙人制度を抱く米国では一票の格差どころかねじれ現象も起こり得る。およそ1年のカウントダウンが始まった。わが国も他山の石とせねばならない。