北村 禎宏

2018 09 Dec

仏と日で

フランスも日本もおかしくなりつつある。

 SNSで拡散する首謀者なき反政権デモは極めて現代的事象であるとともに、来たるべき未来を示唆しているとも言える。政党政治の背骨を失ってしまった日本は、国としての退化の途上にあると言える。世界のトレンドから一周もしくは二周の周回遅れの議論に様はない。

 ニーチェは超人を定義したが、ハラリはほんの数パーセントの超エリートとその他大勢の無用者階級により構成される未来を示唆する。その超エリートは、ホモ・サピエンスに次ぐホモ・デウスなる新しい種として登場する可能性があるという。つまり、ホモ・サピエンスはネアンデルタールの運命をたどるというわけだ。

 ネットワークに支配されて、自分の考えや意思とは必ずしも無関係に暴徒化してしまう大衆の人々。子供のおねだりのようにやりたいことをやり切ることしか考えなくなり、その顔色を覗うだけの取り巻きたち。前者は無用者階級予備軍であり、後者は退化をはじめたホモ・サピエンスのサンプルのように見える。

 ハラリの提示した三つの問いに私たちはどう答えることができるだろうか。
1.生き物はアルゴリズムか?命はデータ処理に過ぎないのか?
2.知識と意識はどちらに価値があるか?
3.意識を持たない高度な知能を備えたアルゴリズムが私たちのことをよく知る    ようになったとき、社会、政治、日常生活はどうなるのか?

 どのような未来が訪れるかは見えないが、慣れ親しんだこれまでが終わろうとしているのは間違いない。東京五輪と大阪万博に浮かれる7年間の間に見失なってはならないものがある。でも、見失うんだろうな…。